桃井直常
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桃井 直常(もものい ただつね 生没年不詳)は、南北朝時代の武将。足利家家臣。父は桃井貞頼。実弟に桃井直信。桃井氏は下野の足利氏の支族で、上野国群馬郡桃井を苗字の地とする。
[編集] 略歴
1333年、倒幕運動に呼応した上野国の御家人新田義貞の決起に加わり、鎌倉幕府攻略に参加。その後、建武政権から離反した足利尊氏に従い戦功をあげ、若狭・伊賀・越中の守護となる。
足利政権における内部抗争が観応の擾乱に発展すると、直常は将軍尊氏、足利家執事の高師直との確執から、将軍尊氏の実弟直義派の中心的武将となる。直義は一度失脚したものの南朝と連携して巻き返しを図り、直常は正平6年・観応2年)1351年)に北国より入京して将軍尊氏らを追い、引付衆に任じられる。
翌年に直義が急死すると、山名・大内ら反尊氏派の武将らと直義猶子で中国探題の直冬を擁立し、南朝(吉野朝廷)と連携し、正平9年・文和3年(1354年)、直冬勢は上洛をはじめ、翌年には先鋒として入京する。3月には洛中の合戦において敗走。南朝勢力が衰微し、諸将が足利政権に帰順するなか、直常は実弟直信とともに反足利貫いている。