栃東知頼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
栃東 知頼(とちあずま ともより、1944年9月3日 - )は、福島県相馬郡(現在の相馬市)出身(出生地は茨城県筑波郡)で春日野部屋所属の元大相撲力士。本名は志賀駿男(しが はやお)。得意手は左四つ、上手出し投げ、右四つ寄り。身長177cm、体重115kg。次男は大関・栃東大裕。最高位は関脇。現在は年寄・玉ノ井。
目次 |
[編集] 来歴
横綱・栃錦が春日野部屋継承後に入門した力士では初の関取。現役時代は身長177cm・体重115kgの小兵で、両膝の故障と肝炎による休場とで大成を阻まれたが、大鵬45連勝の直前の黒星をつけるなど、師匠譲りの技巧派力士として知られた。殊勲賞4回はいずれも技能賞とのダブル受賞。1972年1月の優勝は11勝4敗で現在も史上最低の成績だが、千秋楽大関清国との対戦に負ければ5敗力士による優勝決定戦になるところを出し投げで勝ったものだった。
引退後は師匠であった春日野親方の定年をきっかけに独立を果たすとともに玉ノ井部屋を創設し、次男・太祐を自らの部屋に入門させ、十両に昇進すると現役時代の四股名を継がせた。現役時関脇長谷川に対して、「顔も見たくない」と発言したことがある。
[編集] 略歴
- 1960年 - 11月、初土俵。
- 1965年 - 5月、新十両。
- 1967年 - 3月、新入幕。
- 1968年 - 11月、新[小結]。
- 1970年 - 3月、新関脇。
- 1972年 - 1月、西前頭5枚目で初の幕内最高優勝。
- 1977年 - 1月、前場所東前頭3枚目で2勝13敗に終わったのに続き西前頭13枚目で初日から4連敗し引退。年寄玉ノ井襲名。
- 1990年 - 春日野部屋から独立し、[玉ノ井部屋]を興す。
[編集] 生涯成績
- 通算成績:611勝593敗33休
- 幕内成績:404勝448敗23休
- 幕内在位:59場所
- 三役在位:6場所(関脇1場所、小結5場所)
- 幕内最高優勝:1回(1972年1月場所)
[編集] 三賞・金星
- 殊勲賞:4回(1968年5月場所、1968年9月場所、1969年9月場所、1970年1月場所
- 技能賞:6回(1968年5月場所、1968年9月場所、1969年9月場所、1969年11月場所、1970年1月場所、1971年1月場所)
- 金星:5個(柏戸3個、大鵬1個、北の富士1個)
[編集] 改名歴
- 志賀 駿男(しが はやお)1960年11月場所-1963年7月場所
- 栃東 裕典(とちあずま ゆうすけ)1963年9月場所-1964年9月場所
- 栃東 駿男(- はやお)1964年11月場所-1966年9月場所
- 栃東 知頼(- ともより)1966年11月場所-1977年1月場所
[編集] 関連項目
この「栃東知頼」は、相撲に関連した書きかけ項目です。 記事を加筆・訂正してくださる協力者を求めています。(相撲プロジェクト) |