林述斎
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林述斎(はやしじゅっさい、明和5年6月28日(1768年8月10日) - 天保12年7月14日(1841年8月30日))は、江戸時代後期の儒学者。父は美濃国岩村藩主松平乗蘊(まつだいらのりもり)。名は乗衡(のりひら)・衡(まもる)。字は熊蔵・叔紞・徳詮。号は述斎・蕉軒・蕉隠など。晩年は大内記と称す。
渋井太室らに師事し、1793年(寛政5年)林信敬の養子となって林家を継いだ(林羅山)。幕府の文書行政の中枢として幕政に関与する。朝鮮通信使の応接を対馬国で行う聘礼の改革にもかかわった。柴野栗山・古賀精里・尾藤二洲(寛政の三博士)らと儒学の教学の刷新にも力を尽くし、昌平坂学問所(昌平黌)の幕府直轄化を推進した(寛政の改革)。また、朱子学を基礎としつつ、中国清朝の考証学に関心を示し、「寛政重修諸家譜」「徳川実紀」「朝野旧聞裒藁(ちょうやきゅうもんほうこう)」「新編武蔵風土記稿」など幕府の編纂事業を主導した。和漢の詩才にすぐれ、歌集「家園漫吟」などがある。中国で散逸した漢籍を集めた「佚存叢書」は中国でも評価が高い。別荘に錫秋園(小石川)・賜春園(谷中)を持つ。門弟に佐藤一斎・松崎慊堂がいる。三男は鳥居耀蔵。