松平親賢
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松平 親賢(まつだいら ちかかた、宝暦3年6月10日(1753年7月10日) - 享和2年9月28日(1802年10月24日))は、豊後杵築藩の第7代藩主。父は第5代藩主・松平親盈(親賢は次男)。母は永井直陳の娘。官位は従五位下。駿河守。
1753年6月10日生まれ。幼名は民之助。1785年5月23日、先代藩主で兄に当たる松平親貞が隠居したため、その養嗣子となって後を継いだ。1786年から大学者として知られる三浦梅園を三顧の礼をもって家臣に迎え、行き詰まった藩政を再建するための藩政改革を行なった。嗣子無くして1802年9月28日、50歳で死去し、後を養嗣子の松平親明が継いだ。墓所:杵築市の養徳寺。