東雅夫
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東 雅夫(ひがし まさお、1958年4月11日(昭和33年) - )は、日本の怪奇幻想文学のアンソロジスト(編纂者)、文芸評論家。メディアファクトリー刊行総合雑誌『ダ・ヴィンチ』の増刊号である、怪談専門雑誌「幽」の編集長。アトリエOCTA刊行怪奇幻想文学評論誌『幻想文学』の編集長も務めた。「怪談之怪」発起人の一人。神奈川県横須賀市出身。早稲田大学第一文学部日本文学科卒業。
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[編集] 「響鬼」騒動
- 自身も全シリーズ(剣は途中で不視聴)観ているほど没頭していた平成・仮面ライダーシリーズの6作目、「仮面ライダー響鬼」には東も特に心酔していた。そして響鬼に出てきた魔化魍のモデルの妖怪の詳細を載せた自身の書籍「響き交わす鬼」のブログでの紹介の際、「30話以降は同タイトル・キャストですが、別スタッフによる別作品」と紹介し、30話以降のプロデュースを務める白倉伸一郎が自身のブログでその事に皮肉を込めた文章を載せたことで、東と白倉のブログ越しでの議論が起きる。この事は当時、P交替・番組の路線変更により大きな賛否両論を起こしたネット上に油を注いだ。
- そして2006年6月に「29話までの響鬼の魅力・可能性を探求する」という趣旨の書籍発売の際のブログでの募集でも、「30話以降の響鬼を批判するつもりはない」という文面の直後に「30話以降の響鬼に個人的関心がもてない」「(29話までの響鬼の魅力は)30話以降失われてしまいました」と批判的なコメントを載せたことでも響鬼ファンの間で物議を呼んだ。
[編集] 略歴
- 1958年4月11日(昭和33年) - 神奈川県横須賀市に生誕。
- 1977年(昭和52年) - 早稲田大学第一文学部日本文学科入学。
- 1979年(昭和54年) - 早稲田大学政治経済学部生が創立した「幻想文学会」に参加。メンバーには倉阪鬼一郎も居た。のちの同名の評論誌の原点となる同人誌『幻想文学』発行。
- 1980年(昭和55年) - 本格的な季刊同人誌『金羊毛』を創刊し、数軒の書店にて発売を試み、成功。これがアトリエOCTA刊行の『幻想文学』となる。
- 1981年(昭和56年) - 出版社である青銅社に入社。
- 1982年(昭和57年) - 青銅社を退社し独立するが、同社社長の協力もあってついに季刊評論誌『幻想文学』創刊。編集者・東、発行者・川島徳絵、発行所・有限会社幻想文学会出版局。誌上には澁澤龍彦・中井英夫・荒俣宏ら大家が名を連ねた。売行きは好調ではあったが、この頃は生計を立てるために学習塾で国語の講師も務めていた。
- 1988年(昭和63年) - 澁澤龍彦逝去に伴い、氏の特集を組んだ『別冊幻想文学 シブサワ・クロニクル』を発行。これは東の編集暦の中で最も思い入れの深いものとなった。
- 1990年(平成2年) - SF専門雑誌『SFマガジン』(早川書房)にて、以後12年にわたるホラー小説時評の連載を開始。
- 1994年(平成6年) - 『幻想文学』の発行所が川島徳絵代表の株式会社アトリエOCTAへ移行。これを機に属していた「幻想文学企画室」を独立させる。
- 1996年(平成8年) - ノンフィクション雑誌『ムー』(学研)にて、「日本伝説紀行」の不定期連載を開始。
- 1999年(平成11年) - 京極夏彦・中山市朗・木原浩勝らと共に「怪談之怪」を結成し、総合雑誌『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)誌上で活躍。
- 2002年(平成14年) - 雑誌『小説推理』(双葉社)にて、「幻想と怪奇」時評の連載を開始。
- 2003年(平成15年) - 売行きがかんばしくなくなったため、『幻想文学』が終刊となる。
- 2004年(平成16年) - 『ダ・ヴィンチ』増刊号怪談専門雑誌「幽」を創刊、初代編集長に。以後も意欲的に怪奇幻想文学分野で活躍中。
[編集] 作品
- ホラー・ジャパネスクを語る 双葉社 2003年 ISBN 4575234699
- 稲生モノノケ大全 陰之巻 毎日新聞社 2003年 ISBN 4620316490
- 怪談之怪之怪談 (怪談之怪 編) メディアファクトリー 2003年 ISBN 484010848X
- 闇夜に怪を語れば 百物語ホラー傑作選 角川文庫 2005年 ISBN 4043598025
- 妖怪文藝 巻之壱 モノノケ大合戦 小学館文庫 2005年 ISBN 4094028374
- 稲生モノノケ大全 陽之巻 毎日新聞社 2005年 ISBN 462010695X
- ホラー・ジャパネスク読本 双葉文庫 2006年 ISBN 4575713120
- 怪談の学校 (怪談之怪 編) メディアファクトリー 2006年 ISBN 4840114978
[編集] 関連項目
「怪談之怪」発起人