東政勝
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東 政勝(ひがし まさかつ、?-1590年)は戦国時代の武将。中務。父は東政重。
1556年に東氏の家督を継ぐ。1567年に櫛引氏と共に八戸政栄の根城を攻める。一時的に占領したがその後撃退され八戸氏に謝罪した。1571年に八戸政栄が櫛引氏を攻めた際には櫛引方に付くが、またも敗れる。
南部晴政と信直のいさかいでは晴政を支持。信直支持派の北氏を、晴政や八戸氏・四戸氏らと共に攻撃した。この争いは信直が田子に退き終結している。1582年南部晴政が没し、子の晴継も急死した為、南部氏一族が集まり後継者会議が開かれた。政勝らは晴政の娘婿の九戸実親を支持するが、信直派の北信愛の工作によって信直が南部氏の当主となった。一貫して反信直派であった政勝だが、信直が南部氏当主となった為に時勢を読み信直派に転向した。一説には1581年頃に信直派に内通して信直とともに晴政父子を謀殺したともいう。