東フランク王国
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東フランク王国(独:Ostfrankenreich)は843年のヴェルダン条約によって成立した王国。
ルートヴィヒ1世の死後、息子ルートヴィヒ2世が843年、ヴェルダン条約によりフランク王国東部と皇帝位を継承した。中部フランク王国の後退の際、メルセン条約により西フランク王国との間で国境を定め、ロレーヌ周辺地方を獲得した。
第2代皇帝カール3世は885年、西フランク王を兼ねて帝国を再統一するが、ノルマン人の侵入により廃位される。3代皇帝アルヌルフがノルマン人を撃退する。
911年、ルートヴィヒ4世の死によりカロリング朝は断絶した。
東フランク王国はドイツ王国とも呼ばれるようになる。また神聖ローマ帝国が成立するまでは、ドイツは東フランク王国の政体のままであった。
[編集] 歴代国王
- ルートヴィヒ2世 (843年 - 876年)
- カールマン (876年 - 880年)
- カール3世 (肥満王) (876年 - 887年)
- アルヌルフ (887年 - 899年)
- ルートヴィヒ4世(幼童王) (899年 - 911年)
フランケン朝
ザクセン朝