明和事件
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明和事件(めいわじけん)は、江戸時代中期幕府による尊王論者弾圧事件。
甲斐国出身の山県大弐は、江戸へ出て兵学・儒学を教え大義名分に基づく尊王思想を鼓吹し、その一方で1758年におきた「宝暦事件」に連座した藤井右門は江戸に出て大弐の家に寄宿し、江戸攻略の軍法を説いた。幕府は上野国小幡藩の内紛にかこつけて両名を逮捕し、1767年(明和4年)不敬罪として大弐を死罪に、右門を磔刑に処した。さらに、宝暦事件により重追放となった竹内式部にも累を及ぼして遠島に処せられた。
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