日笠淳
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日笠 淳(ひかさ じゅん、1958年8月8日 - 、岡山県出身)は、日本のテレビドラマ・映画プロデューサー。東映所属。役職はチーフ企画者兼映像資料室長で部長代理待遇。
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[編集] プロフィール
- 東京大学法学部卒業後、1982年東映入社。入社後、『鬼が来た』などの一般ドラマのプロデュースアシスタントを担当。
- 1984年、『星雲仮面マシンマン』を吉川進の下でプロデュース。同番組終了後、『宇宙刑事シャイダー』の中途よりプロデューサー補として参加、以後、メタルヒーローシリーズで吉川進、折田至の下番組制作に参加、『超人機メタルダー』よりチーフプロデューサーに昇格。
- 1988年、メタルヒーローシリーズより東映不思議コメディーシリーズに移動、『じゃあまん探偵団 魔燐組』に参加。『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』でチーフプロデューサーに昇格。同シリーズ終了まで全作品に携わる。
- 1995年、『重甲ビーファイター』より8年ぶりにメタルヒーローシリーズに復帰、『テツワン探偵ロボタック』までの4作品をプロデュース。
- 1999年、スーパー戦隊シリーズに参加。『救急戦隊ゴーゴーファイブ』より『爆竜戦隊アバレンジャー』までの5作品をプロデュース。
- 2004年、『仮面ライダー剣』をプロデュース。
- 2006年、『轟轟戦隊ボウケンジャー』よりスーパー戦隊シリーズに復帰。
- 『星雲仮面マシンマン』のエンディングテーマ「俺の名前はマシンマン」の作詞は八手三郎名義だが、吉川進氏によると作詞したのは実は日笠であるということである。大野雄二の名メロディーと相俟って屈指の名曲に仕上がっている。
- 尚、2005年、結婚した。
[編集] 人物・経歴
主に脚本家などに、作風を一任する事が多く、事細かに作品の方向性を独断で決めることはしていない。
同時期に話題となっていた平成仮面ライダーシリーズとの共鳴効果もあり、『百獣戦隊ガオレンジャー』、『忍風戦隊ハリケンジャー』、『爆竜戦隊アバレンジャー』を商業面で大ヒットさせる。また商業面では苦戦したが、『未来戦隊タイムレンジャー』も戦隊ファンに高く評価された。
[編集] 親密なスタッフ
演出家では諸田敏、坂本太郎とは数多くの作品でコンビを組んでいる。またスーパー戦隊シリーズ以外で演出経験のなかった渡辺勝也にメタルヒーローシリーズの現場を参加させ、初めてパイロット監督の大任を託し、戦隊シリーズでも渡辺にパイロットを獲らせたのは日笠である。以前は岩原直樹とも親密であった。また佐伯孚治監督は個人的に東映入社以前よりファンであったとのこと。 脚本家では近年は會川昇と特に近しく、また浦沢義雄、宮下隼一と組む事も非常に多い。
[編集] プロデュース作品
[編集] 連続テレビドラマ
- 星雲仮面マシンマン(1984年)
- 宇宙刑事シャイダー(1984年-1985年)
- 巨獣特捜ジャスピオン(1985年-1986年)
- 時空戦士スピルバン(1986年-1987年)
- 超人機メタルダー(1987年-1988年)
- じゃあまん探偵団 魔燐組(1988年)
- 魔法少女ちゅうかなぱいぱい!(1989年)
- 魔法少女ちゅうかないぱねま!(1989年)
- 美少女仮面ポワトリン(1990年)
- 不思議少女ナイルなトトメス(1991年)
- うたう!大龍宮城(1992年)
- 有言実行三姉妹シュシュトリアン(1993年)
- 重甲ビーファイター(1995年―1996年)
- ビーファイターカブト(1996年-1997年)
- ビーロボカブタック(1997年―1998年)
- テツワン探偵ロボタック(1998年-1999年)
- 救急戦隊ゴーゴーファイブ(1999-2000年)
- 未来戦隊タイムレンジャー(2000-2001年)
- 百獣戦隊ガオレンジャー(2001-2002年)
- 忍風戦隊ハリケンジャー(2002-2003年)
- 爆竜戦隊アバレンジャー(2003年-2004年)
- 仮面ライダー剣(2004-2005年)
- 轟轟戦隊ボウケンジャー(2006年-2007年)
[編集] テレビドラマ(単発)
[編集] オリジナルビデオ
- 大予言・復活の魔神(1992年)
- 前項に属する作品のビデオ化タイトルは除く。
[編集] 映画
- 前項に属する作品の映画化は除く。
[編集] 関連項目
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