日樹
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日樹(にちじゅ、天正2年(1574年) - 寛永8年5月19日(1631年6月18日))は、江戸時代前期の日蓮宗の僧。号は長遠院。備中国の出身。池上本門寺16世。江戸長遠寺の開山。
下総国の飯高檀林(現在千葉県八日市場市にある飯高寺)・中村檀林(現在千葉県多古町にある日本寺)で学業を積み、飯高檀林の7世化主となった。日奥を中心とする関東学派(不受不施派)に属し、京都本満寺の日重、身延山久遠寺の日乾らを中心とする関西派(受不施派)と対立した。1619年(元和5年)池上本門寺に入寺し、本門寺の復興に努めた。久遠寺の日暹を非難したことで幕府に上訴され、1630年(寛永7年)江戸城内で日暹と対論を行ったが、不受不施が邪義とされて信濃国飯田に配流となった。
[編集] メモ
- 日樹上人五輪石塔(東京都大田区池上本門寺境内)
- 本門寺境内の西端、鐘楼と霊宝殿の間に挟まれるようにして残る。第二次大戦の空襲で本門寺伽藍がほぼ全焼した際、五輪石塔も大きく損傷したが、なお日樹上人の花押が確認できる。