日枝神社
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日枝神社(ひえじんじゃ)
「ひえ」は「日枝」や「比叡」の他に「稗叡」や「日吉」とも表記する。「日吉」は「ひよし」とも読む。また、山王権現(さんのう ごんげん)・山王神社(さんのう じんじゃ)などとも呼ばれる。
- 東京都千代田区永田町にある神社。本項で記述する。
- 滋賀県大津市坂本にある神社。比叡山の鎮守・地主神。⇒日吉大社
- 大山咋神を祀る神社。日吉大社から勧請され、全国に分布する。主に天台宗寺院に隣接して建てられた。上記「1」の東京都千代田区のものが有名。神社本庁別表神社の中では他に富山県富山市の日枝神社がある。詳細は日吉神社を参照。
日枝神社 | |
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拝殿 |
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所在地 | 東京都千代田区永田町二丁目10番5号 |
位置 | -- |
主祭神 | 大山咋神 |
社格等 | 官幣大社・別表神社 |
創建 | -- |
本殿の様式 | -- |
例祭 | 6月15日(山王祭) |
主な神事 | -- |
日枝神社(ひえじんじゃ)は、東京都千代田区永田町二丁目にある神社。江戸三大祭の一つ、山王祭が行われる。旧社格は准勅祭社(東京十社)、官幣大社。別称 日吉山王社、日吉山王大権現社、江戸山王大権現、麹町山王、山王社、山王さま。
大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ) 伊弉冉神(いざなみのかみ) 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀る。
目次 |
[編集] 歴史
創建の年代は不詳である。文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院)の鎮守である日吉社を勧請したのにはじまるとされる。他に、熊野那智大社の貞治元年(1362年)の文書に「武蔵国豊島郡江戸郷山王宮」の記載があり、これが現在の日枝神社であるとする説もある。徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした。
慶長9年(1604年)からの秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになった。明暦3年(1657年)、明暦の大火により社殿を焼失したため、万治元年(1659年)、将軍家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて、現在地に遷座した。この地は江戸城から見て裏鬼門に位置する。
明治元年(1868年)11月の東京奠都の際に准勅祭社に指定され、その後、皇城鎮護の神社とされて大正元年には官幣大社に昇格した。昭和20年の東京大空襲で社殿が焼失し、昭和33年に再建された。
[編集] 文化財
- 国宝
- 太刀 銘則宗
- 重要文化財
- 太刀 銘国綱
- 太刀 銘定利
- 太刀 銘一
- 太刀 銘長光
- 太刀 銘備州長船住長光
- 太刀 銘守家
- 太刀 銘高包
- 太刀 銘師光
- 太刀 銘延房
- 太刀 銘重久
- 太刀 銘備前国新田荘住親依元徳四年云々
- 太刀 銘備州萬壽住右衛門尉吉次作
- 太刀 銘豊後国行平作
- 薙刀 無銘 伝当麻