新歌舞伎座 (大阪)
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大阪新歌舞伎座(おおさかしんかぶきざ)は、大阪府大阪市中央区難波四丁目にある劇場。1958年開場。株式会社新歌舞伎座(リサ・パートナーズ・グループ)が所有。
1954年松尾國三は大谷竹次郎に乞われて千土地興行の経営を引き受けたが、その同じ年から大阪歌舞伎座(1932年、現在ビックカメラなんば本店のある土地に新築開場)を本拠としていた関西歌舞伎はいわゆる「役もめ」から内部崩壊を開始し、観客動員も急速に低下、もはや「3000人劇場」の維持は無理と判断した松尾は「歌舞伎座の縮小・移転、歌舞伎座ビルの有効利用」の方向を決めた。1958年4月の新国劇公演を最後に大阪歌舞伎座を閉鎖、歌舞伎座ビル内部を改造して12月に「千日デパート」として開業した。一方、御堂筋西側の「なんば大映」跡地に建設されていた新劇場は「大阪新歌舞伎座」と命名されて10月31日に開場した(当時の収容人員は1835名)。こけら落とし興行には尾上菊五郎劇団を迎え、関西からは市川壽海・中村富十郎(4世)のみの参加にとどめ、関西歌舞伎の本拠にはしないことを当初から明示していた。
松尾は「歌舞伎座」の名の手前開場の翌1959年のみは年6回の歌舞伎興行を行ったが、1960年以降は歌舞伎・新国劇・新派をしだいに追い出し、より収益のあがる新しい興行形態の開拓に積極的に乗り出した。千土地が経営していた大阪劇場(大劇)の興行をヒントにして、人気のある映画スターや歌手を中心に据えた「座長芝居」「歌手芝居」を月替わりで公演する方式を編み出し、大成功を収めた。東京・大阪・名古屋のほとんどの商業劇場がこれに追随したから、松尾は現代の商業劇場の興行形態の創始者の栄光を担っているといえよう。
客席は三層、現在の収容人員は1638名。「観光劇場」と銘を打ち、桃山風の人目を引くデザインは村野・森建築事務所(村野藤吾)の手によるもので、内装も豪華な造りとなっている。
ただし、歌舞伎興行に不可欠の回り舞台は敷地の関係から設置を断念。スライディングステージで代用している。
定紋は東京・歌舞伎座と同じく鳳凰。大阪歌舞伎座時代から使用。なお、東京は一羽だが大阪は二羽が向き合うデザインとなっている。
[編集] 所在地
- 大阪府大阪市中央区難波四丁目3番25号
[編集] 交通
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