新井領一郎
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新井 領一郎(あらい りょういちろう、安政2年7月19日(1855年8月31日) - 昭和14年(1939年)4月10日)は実業家。生糸貿易の先駆者。日本ゴルフ協会の年鑑によると、日本人初のゴルフプレーヤーでもある。井上準之助にゴルフを教え、働きかけ、日本初のゴルフ倶楽部である東京ゴルフ倶楽部を設立させた。
1855年群馬県勢多郡黒保根村(現桐生市)の養蚕業者の家に生まれ。1874年開成学校入学、同年商法講習所(現一橋大学)入学。
1876年佐藤百太郎と渡米し、1893年横浜生糸会社(後に三菱商事に吸収合併)創業、同社会長を務める。1901年アメリカ合衆国シルク協会役員。
水沼製糸工場設立者の星野長太郎は兄。妻田鶴は、元山陽鉄道社長・会長の牛場卓蔵の娘。孫の春子は元駐日本アメリカ大使エドウィン・O・ライシャワーの妻ハル・松方・ライシャワー。