商法講習所
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商法講習所(しょうほうこうしゅうじょ)は、1875年、当時の文部大臣(日本初代)であった森有礼が銀座尾張町に創設した教育機関。
当時の英米の商業を範として、商学はもちろんのこと、経済学、法学、社会学など社会科学全般の総合を目指した機関として名高かった。現在の一橋大学の前身。その後、東京商業学校(1884年)、高等商業学校(1887年)、東京高等商業学校(1902年)、東京商科大学(1920年)、東京産業大学(1944年) と名前が移り変わり、1949年に現在の一橋大学が発足した。
商法講習所は同大学の起源とされ、森有礼は同大学の建学の租とされている。 この商法講習所の創設には、慶應義塾大学の創設者として知られる福沢諭吉も深く携わって森に助力しており、かつてから一橋大学と慶應義塾大学は所縁の深い関係であったことが窺い知れる。
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[編集] 概要
設立当初はお雇い外国人教師ホイットニーにより、英語の教本を用いて、英語で授業が行われた。記録に残る最初の修業年限は 1年半(18ヶ月)で、入学後の 6ヶ月間は英語の教育に充当されていた。修業年限はその後 2年(1876年10月以降)、5年(1881年4月以降)と延長され、教育令のもとでの商業専門学校を自称した。後発の商業教育機関が日本式の教育を行うようになってからも、洋式教育を続けた(5年制になってからは、最初の3年間で内国商業科目と英語とを教え、残り2年間で英語により外国商業を教えた)。英語のほかには、模擬商業実践が特徴的であった。これは校内に模擬店舗・銀行・郵便局などを設け、模擬貨幣を使用して商取引の実演を行う授業であり、後発の商業諸校もこれに倣った。
校舎は当初、銀座尾張町(現・東京都中央区銀座6丁目)にあった鯛味噌屋の2階を使用したが、1876年8月、新築の銀座木挽町校舎に移転した。この校舎は後身の東京商業学校に引き継がれ、神田一ツ橋に移転する 1885年9月まで使用された。
1876年 5月、商法講習所は東京商法会議所から東京府へ移管され、さらに1883年11月、農商務省への移管を開始した。1884年3月、官立への移管完了とともに、東京商業学校と改称した。
[編集] 後発校
商法講習所の設立後、商業教育の必要性が認識され、日本各地に商業教育機関が設立された。初期の学校の設立・運営には、慶應義塾の関係者が関与していた例が多い。多くの学校では、東京の商法講習所と同様、模擬商業実践を取り入れていた。1884年1月、文部省は商業教育機関の設立基準として 「商業学校通則」 (明治17年文部省達第1号) を公布し、東京の商法講習所以外はこの通則に準拠して、(第一種)商業学校となった。
- 後発の商業教育機関の例 (商業学校通則以前の設立分):
- 兵庫県神戸商業講習所
- 1878年1月設立。当初は運営を慶應義塾に委託。発足時 2年制(入学資格:満14歳以上)。現 兵庫県立神戸商業高等学校(県商)。
- 三菱商業学校
- 1878年設立。福沢諭吉の門下生が関与。予備科3年、本科2年。1884年廃校。
- 石巻商業講習社
- 詳細不詳。
- 岡山商法講習所
- 1880年10月設立。県立。福沢諭吉の門下生が関与。初代所長 箕浦勝人は神戸商業講習所と兼務。2年制(入学資格:満14歳以上)で発足し、1882年3月、岡山県商法学校と改称、1883年3月廃校。1898年、岡山県商業学校として "復活" (現 岡山県立岡山東商業高等学校)。
- 大阪商業講習所
- 1880年11月設立。福沢諭吉の門下生、加藤政之助(大坂新報編集主幹)の社説 『商法学校設ケザル可ラズ』(「大坂新報」 明治12年8月14日 - 15日) に刺激された大阪財界有志による設立。発足時 3年制(入学資格:満13歳以上)。現 大阪市立大学・大阪市立天王寺商業高等学校。
- 横浜商法学校
- 1882年3月設立。初代校長 美澤進をはじめ、福沢諭吉の門下生が関与。発足時 予科2年、本科3年。現 横浜市立横浜商業高等学校(Y校)・横浜市立大学。
- 北越興商会付属新潟商業学校
- 1883年11月設立。尾崎行雄(慶應義塾中退)が関与。現 新潟県立新潟商業高等学校。
[編集] 関連書籍
- 作道好男・江藤武人(編) 『一橋大学百年史』 財界評論新社、1975年10月。
- 後発校関係
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 銀座・商法講習所跡 - 東京都中央区観光協会
- 一橋大学への歩み - 一橋大学附属図書館
- 明治初期簿記導入史と商法講習所 - 同、平成15年度展示
- 後発校関係
- 三菱商業学校について - 三菱広報委員会 岩崎彌太郎物語 vol.15
- 神戸商業講習所と石巻商業講習社の関連について - 『商業教育論集』 第2集
- 葦原同窓会報 - 2ページ目に尾崎行雄と新潟商業学校について言及あり