斯波義郷
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斯波 義郷(しば よしさと、応永17年(1410年) - 永享8年9月30日(1436年11月8日))は室町時代中期の守護大名。斯波義重の次男。母は甲斐教光の娘。斯波義淳は異母兄、同母弟に斯波持有。官位履歴は、従五位下から従四位下。治部大輔そして左衛門佐。
初め僧籍にあり、瑞鳳と名乗り相国寺の鄂隠和尚の弟子であった。永享5年(1433年)11月、兄義淳が重病となると、足利義教の命により還俗、斯波氏の家督を継ぐ。永享6年(1434年)2月に幕府に出仕。越前・尾張・遠江の守護職を継承する。
しかし、家督を継いでわずか3年後の永享8年(1436年)9月29日、三条中納言宅訪問の帰路、陸橋から馬もろとも転落し、翌30日に死去した。享年27。法名は宝泉院殿道慶祥岩。家督は子の斯波千代徳丸がわずか2歳で継いだ。