斯波持有
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斯波 持有(しば もちあり、応永20年(1413年) - 永享12年5月20日(1440年6月19日))は室町時代の武将。初名は持輔。斯波義重の三男。母は甲斐教光の娘。斯波義淳、斯波義郷の弟。次郎と称す。官途は従五位下左衛門佐。
永享5年(1433年)11月に兄義淳が重病となると、その子義豊は前年に没していたため、家督後継者と目されるが、将軍足利義教の介入があり「器用の仁に非ず」とされ、兄義郷が還俗して家督を継ぐこととなる。
永享9年(1437年)1月、兄義郷の遺児千代徳丸の代理として大和国で反幕府活動をしていた越智維通・箸尾次郎左衛門尉の討伐軍大将となり越前兵を率いて出陣、翌年5月に激戦を演じている。
永享12年(1440年)5月20日没。享年28。法名は勝保寺殿道昌久峯。