攘夷論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
攘夷論(じょういろん)は、日本においては、江戸末期に広まった考えで、夷人(外国人)をしりぞける。つまり外国人を実力行使で排斥しようという過激思想。
帝国主義の発想を持つ欧米のアジアへの接近(侵略・進出)により、それまでの江戸の天下泰平の世の中(鎖国体制下の社会)を維持したいという発想として盛り上がった。
元々は朱子学を重んじた水戸学から発して全国に尊皇攘夷思想として広まった。だが、それが勤皇思想と結んだ結果において倒幕と言うエネルギーに一転した。これは一種のすり替えであった。
開港以後は、国学の発展によって強化されつつあった日本は神国であるというナショナリズムの発想である尊皇論と結びつき、尊皇攘夷論となって諸藩の志士や公卿によって支持された。 しかし薩英戦争や下関戦争において外国艦隊との力の差に直面したことにより、単純な攘夷論に対する批判が生じて、津和野藩の国学者大国隆正らによって唱えられた国内統一を優先して、外国との交易によって富国強兵を図ってでも、諸外国と対等に対峙する力をつけるべきだとする「大攘夷」論が登場した事によって、これを受け入れた攘夷運動の主力であった長州藩・薩摩藩の主張も事実上開国論へと転向していくのである。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 歴史関連のスタブ項目 | 幕末