携帯型ゲーム
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携帯型ゲーム(けいたいがたゲーム)とは、大きく分けて
- コンピュータゲームにおけるコンシューマーゲーム(*1)の中の一分類。
- 携帯可能なサイズのゲームの道具(上記(1)のような携帯コンピュータゲーム機ではない)を用いた遊び。トランプ遊びや携帯用サイズに縮小されたマグネット式の将棋盤による本将棋等がある。携帯コンピュータゲーム機が登場する1990年頃まで、グループ旅行などで、列車車中や宿泊先などでプレイされていたことが多い。
- 上記の遊びに用いるゲームの道具そのもの。
ここでは、主に(1)について説明する。
- (*1)家庭で遊ぶことを想定したコンピュータゲーム。
- (*2)簡単に持ち運ぶことができることができるの意。以下の説明においても同じ。
- (*3)ここでは広義の「テレビを使用したコンピュータゲーム+携帯型ゲーム」ではなく、狭義の「テレビを使用したコンピュータゲーム」を意味する。以下の説明においても同じ。
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[編集] 特徴と傾向
- 携帯用途のためゲーム機本体が小型。
- ゲーム機に表示装置が内蔵されており、使用されている表示装置が液晶ディスプレイ。
- ゲーム機の電源は小型の電池または、リチウムイオンバッテリー。
- ゲーム機本体および専用ゲームソフトが比較的安価なものが多い。
- ゲーム機に使用されているCPUなどの電子部品はテレビゲームやパソコン向けのものより小型なものを使用している。そのためテレビゲーム機及びパソコンの部品と比較するとその性能は劣る面が多い。しかし高性能の携帯型ゲーム機の登場によりその差は縮まろうとしている。
- ゲーム機の能力の都合上三次元的な物体の表現に対応しているソフトが少ない。そのため平面的空間表現のゲームソフトが主流。しかしこの点についても高性能の携帯型ゲーム機の登場により解消の方向に向かいつつある。
- ちょっとした時間に遊ぶことが多いため、ゲームのルールや操作方法がすぐに理解できるゲームソフトが比較的多い。
- 自宅だけでなく外出先でも利用することがある。
- テレビゲームは家族と共同で所有しているケースも多いが、携帯型ゲームはたいてい一人で専有している。
- 個人でのゲーム機本体やソフトウェアの専有意識があることから、通信機能を利用し通信対戦やキャラクターの交換などにより他者とのコミュニケーションをとることのできる機能を盛り込んだソフトも多い。
[編集] 利用者について
パソコンゲームもしくはテレビゲームの利用者と携帯型ゲーム機の利用者は必ずしも一致しない。中高生や熟練ユーザーが多いパソコンゲームやテレビゲームとは異なり、携帯型ゲームは友達同士でゲーム交換をすることの多い小学生や、ちょっとした空き時間の息抜きを求める主婦、OL、サラリーマンなどのユーザーが多い。電源を入れれば、その瞬間に利用可能な機器も多い事から、他の用事(調理や洗濯といった自動化され断片的に空き時間の空く家事や、用便中や寝入り端等の注意力が散漫になっても差し障りの無い生理現象が起きている間)の片手間に利用する向きもある。
このためメーカー側はその様な事情に配慮した物を発売する傾向が見られ、一回のプレイ時間が極めて短い物や、随時状態を保存(セーブ)して電源を切れる物、または常に電源は入りっぱなしで、操作が無い時は状態に変化が起こらない物などが好まれる傾向にある。
しかしその一方で、ゲームの状態によって随時操作を積極的に要求する(ただし一回の操作は数秒程度で終わってしまう)内容の物も存在し、これらは「生き物を世話する」事を擬似的に体験させる物に多い。その様な物では、随時ペットを持ち歩くような事に等しくなるため、これにまつわる事故が発生しやすいと言えよう。1990年代に異常なまでの流行を見せたたまごっちでは、下は幼稚園児から上は社会人まで幅広い利用者が見られたが、しまいには他の要件が度々これらゲーム機からの操作要求によって中断される等の現象も招き、学校や企業内において携帯ゲーム機の禁止令が出されるなどの混乱を招いている。
利用者に積極的な使用を促さない(受動的な)内容の物と、積極的に使用する事を求める(能動的な)物とでは、その在り様の差から、利用者に一定の違いが見られ、また一人で遊ぶ内容か、それともコミュニケーションツールとして利用できるかによっても、やはり一定の違いが見られる。
[編集] 発展の歴史
携帯型ゲームは、ハードウェアと密接に関係して発展してきた。
家庭向けのコンピュータゲームであることを前面に押し出して発売し、初めてヒットしたのは、1980年に発売された任天堂の「ゲーム&ウオッチシリーズ」であった。しかし当時の携帯型ゲームはゲームソフト自体が本体の内蔵部品に書き込まれているため、別のゲームソフトが必要になったときには、本体も含めて新しいものを購入しなければならなかった。また表示装置も登場人物などの形状の点滅箇所があらかじめ決められている程度の今から見ればごく簡易的なものであった。
その後10年ほどはこのようなタイプの携帯型ゲームが主流であった。
- ゲームボーイ
- 1989年になると任天堂は当時圧倒的に普及していたテレビゲーム機ファミリーコンピュータと同様に、ゲームソフトを記憶したカートリッジを交換して使用する携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」を発売。安価な本体価格の設定と、熱中度の高いゲームソフト「テトリス」の効果で爆発的にヒットした。液晶も縦横に点を配列した方式のものを採用したことによりさまざまなゲームを遊ぶことを可能にした。これにより今日的な携帯型ゲームの原型となった。
- Atari Lynx
- 1989年に米Atari社より発売されたこのカラー液晶ディスプレー搭載のAtari Lynxは、他社製品のハードウェアを遥かに超える性能を持ち、米国内で一定の評価を得ると共に、日本国内にも輸入された。しかし電池の持ちは他社製品に比べるまでも無く悪く(あるゲームでは一つの条件をクリアする前に電池切れを起こす程だった)、米国内のヘビーゲーマーを対象としたこのゲーム機は、熱狂的な極小数のファンを獲得したものの、日本を含む米国外では今一つ評価されなかった。結果的にその市場性の無さによって次第に姿を消していった。
- ゲームギア
- 1990年にはセガからカラー液晶ディスプレーを搭載した携帯型ゲーム機ゲームギアが発売。しかし、ゲームボーイに比べ本体価格が高かったことに加え、当時のカラー液晶ディスプレーは消費電力が大きく電池の持続時間が短かったこともあり消費者の幅広い支持は得られなかった。
- PCエンジンGT
- NECホームエレクトロニクスから登場したPCエンジンGT(1990年)は、他の携帯機と違い、据え置き型ゲーム機(PCエンジン)のソフトがそのまま動作するという特徴がある。また、ディスプレーにTFT液晶を採用するなど、性能面で見ても最高峰のものであった。しかし、ゲームギア同様に電池の持続時間の問題、TFT液晶を使用したため本体が非常に高価であったこと、動く据え置き型ゲームがあまり普及していなかったPCエンジンではメリットが薄い点などが災いし、あまり普及はしなかった。同じコンセプトの製品に、PCエンジンLT(1991年)があるが、こちらは内蔵バッテリーがないので携帯ゲーム機の範疇から外れる。
ゲームボーイの普及は、そこそこの性能で安価・軽量であり、また乱暴に扱われがちな携帯機器(児童向け玩具)にあって、足元に落下させた程度では簡単には破損しない丈夫さが愛好者を増やした要因ともいえよう。特に対応ソフトウェアの幅広さに加え、電池切れを余り気にせず何処でもすぐに利用できた点でも、同機種は長く愛好された。特に携帯ゲーム機にあっては取扱説明書を常に携行する訳にも行かない事もあり、単純なルールの物が当初好まれたが、その様なソフトウエアが用意される一方で、じっくり腰を据えて遊ぶ物も用意されていた点は、幅広い支持を得るのに役立ったと思われる。
その後、携帯型ゲームの所持者からはカラー液晶ディスプレーを搭載し、なおかつ電池の持続時間の長い次世代の携帯型ゲーム機を望む声も徐々に増えてくるが、これらの要求を満足する携帯型ゲーム機は発売されなかった。カラー液晶ディスプレーに不可欠であるLEDの技術が発展途上であったので、技術革新が困難だったためである。
また、単価の安い携帯ゲーム機ソフトはメーカーにとって利幅も小さく、開発コストや期間を抑える事が要求された。そのため、ヒット作の後追いの安直な企画(特にテトリスのヒット直後はパズルや落ちゲーばかりだった)や明らかに練られていない作りのソフトの粗製濫造状態を経て次第にユーザーに飽きられ、一時はゲームボーイも市場から姿を消す直前までになる。
そんな状況に陥りつつあった1996年、携帯型ゲーム市場に新たなヒット商品が誕生する。バンダイの「たまごっち」、「ミニテトリス」といったキーホルダー大の商品である。とくにたまごっちは今まではゲームとは縁の遠い存在だった10代の女性を中心に大ヒット。社会現象にまで発展した。愛らしいキャラクター、とても小さくどこへでも携帯可能であったこと、カラフルな本体デザインなどが支持を集めた理由であった。その後もハドソンの「てくてくエンジェル」、任天堂の「ポケットピカチュウ」を初めとする万歩計ゲーム、ソニー・コンピュータエンタテインメントの「ポケットステーション」等のテレビゲーム用の記録メディアに小型の液晶ディスプレーをつけたものなどが発売された。
1996年はカートリッジを交換するタイプの携帯型ゲーム機にとっても大きな年となった。任天堂はこの年「ポケットモンスター 赤・緑」を発売。次第に小学生を中心に広がり大ヒットすることとなる。それをきっかけにゲームボーイ市場は活気を取り戻し、1998年には念願のカラー液晶ディスプレー搭載モデルも発売することとなった。1999年にはバンダイの「ワンダースワン」等の性能の高いライバル機も発売され、任天堂の独占状態となりつつあったカードリッジ式の携帯型ゲーム機市場に競争が起こった。
2001年、任天堂はゲームボーイの後継モデル「ゲームボーイアドバンス」を発売。それまでのゲームボーイにはファミリーコンピュータ時代のテレビゲーム並のゲームソフトが多かったが、これによりスーパーファミコンと比較しても見劣りしない作品が作られることとなった。そのため瞬く間に他社の携帯ゲーム機は市場から姿を消すこととなった。
ゲームボーイアドバンスにはファミリーコンピュータ、スーパーファミコンからのリメイク・続編が多く発売されている。2004年にはファミリーコンピュータの初期の作品をゲームボーイアドバンスに移植したファミコンミニシリーズも登場した。また、任天堂のテレビゲーム機ニンテンドーゲームキューブの操作用コントローラーとしてゲームボーイアドバンスを利用するタイプのテレビゲームの試みも行われている。
また、1999年頃から、携帯電話専用のコンピュータゲームも登場し始めた。これらのゲームソフトはiモードなどの携帯電話会社の提供するネットワークサービスを通じてダウンロードして使用する。これらに提供されるゲームソフトもまた本体の内蔵部品の技術革新により画面表現能力が向上しつつある。そのため携帯電話を利用した携帯型ゲームも広く普及する方向に向かいつつある。
[編集] 現在の主なハード機種
2004年末以降、携帯ゲームは下記のような次世代機の登場で、変革期を迎えている。
- 任天堂は2004年12月2日に携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」を発売した。ディスプレーが上下に2つ並んでいるのが特徴的である。そのうち下の画面はタッチパネルとしても利用可能で画面を専用ペン等でさわると操作ができる。この特徴を利用した新たなタイプのゲームソフトも登場予定である。またこの画面にキーボードを表示しチャットのできる機能もある。その他の特徴としては同社のNINTENDO64以上の三次元的物体表現能力や、無線通信機能があげられる。また、ゲームボーイアドバンス専用ソフトも利用できる。11月23日には、64DD以来の新型オンラインシステム「ニンテンドーWi-Fiコネクション」がスタート。各地のおもちゃ屋においてあるWi-Fiステーション(試遊台を兼ねる)にいけば特に設定をすることなく接続でき、任天堂製のソフトは原則無料であるという敷居の低さが特徴で、対応ソフトも大ヒットを記録している。
- ソニー・コンピュータエンタテインメントも高性能な携帯型ゲーム機「プレイステーション・ポータブル」を2004年12月12日に発売。三次元的物体表現能力が同社のプレイステーション2並みに優れている。ソフトウェアのメディアにはUMD光ディスクを採用している。このゲーム機用のソフトウェアはゲームソフトだけでなく専用の音楽ディスクや映像ディスクも発売されることになっている。無線通信機能(無線LAN)も備えている。他の電子機器との連携も視野に入れた設計となっている。カメラ、GPS機能なども外部アクセサリーとして登場予定となっている。
[編集] 最新の動向
2006年12月現在、携帯ゲーム機業界は据え置きゲーム機業界を上回り、現在のゲーム業界の主役となりつつある。
なかでもニンテンドーDSは爆発的な売り上げを見せ、ミリオンタイトルを連発し、発売20ヶ月で日本での販売台数1000万台突破の新記録を打ち立てた。さらに、これまで据え置きゲーム機向けで発売され、絶大な支持を得てきた日本の人気RPGシリーズであるドラゴンクエストシリーズも、第9作目ではニンテンドーDSに移行することとなった。
対するプレイステーション・ポータブルも発売から2年で日本での販売台数は400万台を突破しており、ハード面ではそこそこ売れているのだが、ソフト面では据え置き機との区別化が出来ていないため、評価の高いゲームもあるものの、未だにミリオンタイトルを出せずに苦戦している。その為、2006年からはPSPのUSB端子に取り付けられるカメラやGPSモジュールなどを開発・販売しゲーム機との差別化を図っている。
また、2005年9月にはゲームボーイミクロが発売されたのだが、皮肉にも同社の製品であるDSの爆発的な普及時期と重なってしまい、あまり売れずに終わった。
日本におけるゲーム機戦争も参照。