折田彦市
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折田彦市(おりた ひこいち、嘉永2年1月4日(1849年1月27日)~1920年(大正9年)1月26日)は、日本の教育者。第三高等学校の初代校長であり、1880年~1885年、1887年~1910年の長期にわたって校長を務め(第三高等学校になったのは1894年)、旧制三高の自由な学風を築いたとされる人物。
[編集] 生涯
1849年に薩摩で生まれた。1869年、京都に渡ったとき、岩倉具視の御附役に命じられる。1870年2月に、米国留学する岩倉の二子に従って渡米し、1年後の9月にニュージャージー大学に入学する。1876年5月に、渡米のときから興味を持っていたキリスト教の洗礼を受け、同年6月に大学を卒業し、10月に帰国した。帰国してからは教育者として幅広く活躍する。1920年に、スペイン風邪により死亡する。
[編集] その他
彼の業績を称えるため、1940年に銅像が設置された。しかし、戦争中の金属回収で撤去され、1955年に再建された。この銅像は、派手な落書きの被害によって有名となる。(詳しくは折田先生像より)。