建水分神社
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建水分神社 | |
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所在地 | 大阪府南河内郡千早赤阪村水分357 |
位置 | -- |
主祭神 | 天御中主神 天水分神 国水分神 罔象女神 瀬織津媛神 |
社格等 | 式内社(小)・府社 |
創建 | 崇神天皇5年 |
本殿の様式 | 水分造 |
例祭 | 4月25日 10月第三土曜日 |
主な神事 | -- |
建水分神社(たけみくまりじんじゃ)は、大阪府南河内郡千早赤阪村にある神社である。通称水分神社(すいぶんじんじゃ)。水分大明神、上水分社(うえのすいぶんのやしろ)とも称する。式内社で、旧社格は府社。
古来より金剛山鎮守として、また楠木氏の氏神として崇敬された。
目次 |
[編集] 祭神
中殿に天御中主神、左殿に天水分神・罔象女神、右殿に国水分神・瀬織津姫神を祀る。このうち天水分神・国水分神と罔象女神は水神であり、瀬織津姫神も大祓詞で「早川の瀬に坐す」とある神である。
[編集] 由緒
社伝によれば、崇神天皇5年(紀元前92年)、諸国が飢饉となったとき、各地に溜池や溝を作ることが勧められたが、このときに金剛葛城の山麓に水分神が祀られたのに始まる。延喜式神名帳に「河内国石川郡 建水分神社」と記載されている。「上水分社」の呼称は、美具久留御魂神社(富田林市宮町)を下水分社と称するのに対応したものである。
元の鎮座地は現在地より東約500mの所にあったが、南北朝時代に兵火にかかり社殿を焼失した。建武元年(1334年)、後醍醐天皇の勅命を受けた楠木正成が、現在地に本殿、拝殿、鐘楼などを再建し遷座した。延元2年(1337年)4月27日、最高位である正一位の神階を授けられた。
中世、織田信長軍の河内国攻略の際に社領を没収され一時衰退するが、豊臣秀吉が社領を寄進し、復旧された。
明治6年の社格制定の際に郷社に列格した。明治40年に神饌幣帛供進社に指定され、氏子地域内の17神社を合祀した。大正2年に府社に昇格した。
[編集] 例祭
- 4月25日:春祭
- 10月第三土曜日:秋祭
[編集] 摂末社
[編集] 文化財
- 本殿:重要文化財
- 本殿は三殿で構成されている。中殿に一間社春日造、左右両殿に二間社流造、各殿を渡廊で連結するという全国でも珍しい様式で、「水分造」とも呼ばれている。
[編集] その他
[編集] 外部リンク
- 建水分神社オフィシャルホームページ
- ななかまど-神社ふり~く(合祀された神社に詳しい)