庄林一心
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庄林 一心(しょうばやし かずただ ? - 1631年6月13日(寛永8年5月14日)は加藤清正の家臣。姓は荘林、城林、生林とも。豊後守。伯耆守。隼人佐。通称「隼人」の名で知られる。
はじめ摂津高槻の国人で荒木村重の家臣。荒木氏没落後に仙石秀久に仕え、仙石氏没落後、清正に仕えたと思われる。
飯田覚兵衛、森本儀太夫とともに加藤家三傑と呼ばれる。前述の二人に比べ家臣となったのは遅かったが清正の信頼は厚く、先手の大将として朝鮮出兵では晋州城への一番乗りの手柄を得た他、天草一揆討伐などでも活躍し朱槍を与えられたという記録が残る。
加藤改易後、子は替わって熊本藩主となった細川家に1380石で仕える。墓所は熊本市の禅定寺。
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