常盤御前
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常盤御前(ときわごぜん、1138年(保延4年) - 1190年(建久元年)頃?)は平安時代末期の女性。
近衛天皇の中宮九条院(藤原呈子)の雑仕女で、平治物語によれば雑仕女の採用にあたり都の美女千人を集め、十名を選んだ。その十名の中で一番の美女であったという。
後に源義朝の妾(側室)となり、今若、乙若、そして牛若(後の源義経)を産む。平治の乱で義朝が平清盛と戦って殺され、子供たちをつれて大和国の山中を逃亡するが、母が捕らえられたことを知り清盛の元に出頭して、母と子供たちの助命を乞う。常盤の美しさに心を動かされた清盛は今若、乙若、牛若を助命する。
清盛に請われて妾となり一女(廊御方)を産む。後に一条長成に嫁し、一条能成を産む。頼朝による義経追放時には、鎌倉方によって逮捕され、保身のため追討使に義経の情報を漏らしている。
その後の生死については、はっきりした事は不明。一説には、侍女と共に義経を追いかけたと言われる。岐阜県関ヶ原町・群馬県前橋市・鹿児島県郡山町(現・鹿児島市)・埼玉県飯能市には常盤の墓と言われるものがある。