帝釈峡
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帝釈峡(たいしゃくきょう)は広島県の北東部、庄原市東城町(旧東城町)及び神石高原町(旧神石町)にまたがる、全長18kmの大峡谷。国の名勝(1923年)指定を受けており、比婆道後帝釈国定公園の主要景勝地。三段峡と共に県を代表する景勝地として知られ、国内有数の峡谷でもある(地元では日本五大峡と謳っている。だが、他の4つは不確定)。
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[編集] 特徴
石灰岩台地が深く浸食されて形成され、深度は200~300m。特に石灰岩が溶食されてできた天然橋「雄橋」(おんばし)は同峡谷最大のハイライト。ほかに白雲洞など無数の鍾乳洞が見られる。
[編集] 帝釈川ダム(神竜湖)
帝釈川ダム(たいしゃくがわだむ)は一級水系高梁川水系成羽川の右支川である帝釈川、帝釈峡の峡谷中央部に建設された発電専用ダムである。神竜湖の名称の方が有名である。
日本では最も早い時期に建設されたコンクリートダムで、1924年(大正13年)に完成している。当時は日本で最も高いダムであり土木学会選奨の「近代土木遺産」にも指定されている。形式は非越流型重力式コンクリートダムで高さは56.4m。その後嵩上げされて62.1mとなった。日本で最も縦長のダムであり、見た目よりも高く見える。
だが、完成から80年経ち老朽化が進行している事から、ダムを管理する中国電力株式会社は2002年(平成14年)より帝釈川ダム再開発事業を行っている。洪水吐きを新設して越流型重力式コンクリートダムにする事で洪水処理能力を向上させ、ダム自身もコンクリートを打ち増しして補強する。同時に未使用分の有効落差を利用して発電能力の増強も行い、新帝釈川発電所建設工事と並行してダム再開発を行う。2006年(平成18年)7月に再開発事業は完成。残る足場の片付けや周辺整備を実施した後、ダム天端の立ち入りが可能になる。中国自然歩道のルートにもなっており、徒歩で行く事になる。
ダム及び神竜湖は峡谷のほぼ中央に位置し、比婆道後帝釈国定公園の第1種特別地域に指定されている。故に、ダム改築工事は環境に細心の注意を払いながら行われている。湖上には遊覧船が就航し、ダム付近まで遊覧する。観光施設も充実している。神竜湖は春の新緑、秋の紅葉が素晴らしい見応えで、秋になると紅葉狩りの渋滞が激しい。水鳥も飛来し、凡そ人造湖とは思えない佇まいを見せる。毎年4月には「帝釈峡湖水開き」が神竜湖で開かれ、湖上でのくす球割り等が行われる。ダム下流から広島・岡山県境までの下帝釈峡は人を寄せ付けない秘境が広がる。
尚、成羽川合流点より下流は備中湖となり、中国地方最大級の新成羽川ダムへと至る。
[編集] 神竜湖遊覧船沈没事故
神竜湖の遊覧船は1934年3月24日に沈没する惨事が発生した。これは比婆郡田森村(現在の庄原市東城町)の粟田尋常小学校と粟田尋常高等小学校の卒業遠足の一行42名が遊覧船に乗船したところ、船が沈没し、児童12名と引率教諭2名が犠牲になった。犠牲になった引率教諭のうち1名はわが子も乗船していたが、他の児童を優先して救助したのち、最期は力尽き親子とも亡くなったという。
[編集] 雄橋
雄橋は河川の水が長年に亘って石灰岩質の岩を穿孔することによって形成された自然の石橋であり、帝釈峡の名勝指定とは別に、独自で天然記念物の指定を受けている。しかし、町は世界三大自然橋を謳うほど、世界的に見てもこれほど大規模なものは稀有であることから、特別天然記念物への格上げの運動を行っている。