川島武宜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川島 武宜(かわしまたけよし、1909年(明治42年)10月17日 - 1992年5月21日)は法学者。専門は民法、法社会学。岐阜県岐阜市生まれ。1979年学士院会員、1991年文化功労者。
啓蒙的な著作を多く著し、丸山眞男、大塚久雄とともに戦後民主主義、啓蒙主義を代表する論者。東京帝国大学教授、スタンフォード大学客員教授等を歴任。東京大学教授退官後は弁護士として活動した。
日本の伝統的な家族制度を封建的として批判し、また親分・子分などの前近代的な擬制的家族の問題を追及した。日本の法社会学の泰斗として、また入会権、温泉権の研究でも著名。
『法律時報』を創刊した末弘厳太郎に師事。おもな弟子として、内山尚三、北條浩(元帝京大学教授)がいる。娘のゆりは外務省事務次官や宮内庁式部長官を歴任した川島裕の妻。
目次 |
[編集] 経歴
- 1925年 大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校)卒業
- 1928年 大阪高等学校(現大阪大学)卒業
- 1932年 東京帝国大学(現東京大学)法学部卒業
- 1932年 東京帝国大学法学部助手(民法)
- 1933年 高等文官試験司法科合格
- 1934年 東京帝国大学法学部助教授
- 1945年 東京帝国大学法学部教授
- 1970年 東京大学名誉教授(定年退官)
[編集] 日本人は裁判が嫌い?
村上淳一は著書『法の歴史』(東京大学出版会、1997年)で、川島が「日本人は裁判が嫌いだ」とか「日本人は権利意識が無い」と言ったとしており、近年進行中の司法制度改革などでもこの点を取り上げられているが、本人が直接そのようなこと発言したり、論文に書いたことは一度も無い。これらの論拠として川島の『日本人の法意識』をあげることがあるが、これは、後年の著作集で否定している。
[編集] 「著作」に関する問題
川島は多数の本や論文など著作物を出しているが、それらが同じ題名だとしても次のような事情から注意が必要である。まず、同一の題名だとしても同一の内容ではないという事である。例示すれば、「科学としての法律学」は数度増刷されたり、出版社が変更しているが、そのたびに加筆、訂正されており、初版と最終版、出版社間の内容が大きく異なっている。
さらに、後年に出版された「川島武宜著作集」は、著作集とあっても、これまで出版されたものをただ集めたものでなく、新たに書いたものや、これまでの説を変えていたり、「科学としての法律学」にあっては、まったく別の内容になっている。
これは、東京大学に教授として在職中に大学紛争に巻き込まれ、封鎖によって研究室を荒らされてしまったことも大きいと考えられる。学生達の封鎖により、これまでに収集・保存していた貴重な本や調査メモなどが消失してしまったので(封鎖解除後に研究室に入った際には、飾ってあった大学院時代の指導教授の我妻栄のボロボロの写真が床に落ちていただけだった)、出版どころか講義すらできない状態に追い込まれ、一時は辞職まで考えるほどだったという(『ある法学者の軌跡』。ただし、前述の点について要注意)。
このころ以降の川島の研究内容は、弟子の北條浩が2000-2001年にお茶の水書房から出版した「入会の法社会学」と「温泉の法社会学」で論じている。
[編集] 著作
- 『所有権法の理論』(岩波書店、1949年)
- 『日本社会の家族的構成』(日本評論新社、1954年)
- 『結婚』(岩波新書、1979年)
- 『日本人の法意識』(岩波新書、1978年) ISBN 4-00-410043-7
- 『ある法学者の軌跡』(有斐閣、1979年)
- 『川島武宜著作集 第1巻 法社会学』(岩波書店、1982年)
- 『川島武宜著作集 第2巻 法社会学』(岩波書店、1982年)
- 『川島武宜著作集 第3巻 法社会学』(岩波書店、1982年)
- 『川島武宜著作集 第4巻 法社会学』(岩波書店、1982年)
- 『川島武宜著作集 第6巻 法律学』(岩波書店、1982年)
- 『川島武宜著作集 第7巻 所有権』(岩波書店、1981年)
- 『川島武宜著作集 第8巻 慣習法上の権利』(岩波書店、1983年)
- 『川島武宜著作集 第10巻 家族および家族法』(岩波書店、1983年)