島津守久
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島津 守久(しまづ もりひさ、生没年不詳)は、室町時代前期の薩摩の人。薩摩島津氏の分家である総州家3代当主。父は2代当主の島津伊久。子に島津久世(4代)。
薩摩島津氏の分家である総州家3代当主。島津宗家7代にして総州家2代当主である伊久の長子。川内碇山城を居城としていた。父の伊久と対立しており、明徳4年(1393年)、伊久の居城川辺城を包囲する。しかし大隅守護職で奥州家2代当主・島津元久の説得により川内へ退却する。この事件により伊久と守久は居城を交代し、伊久は薩摩守護職と伝家の家宝を元久に譲り渡す。薩摩守護職を継げなかった守久はその後出水に居を構えたが、子の久世は伊集院頼久の乱において宗家8代の島津久豊により殺害される。守久自身も応永29年(1422年)に久豊の子で宗家9代当主・島津忠国によって攻められ、海路肥前に逃れた。
- 島津氏(総州家)当主
- 1407~1422
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- 先代:
- 島津伊久
- 次代:
- 島津久世