島津久林
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島津 久林(しまづ ひさもり、応永19年(1412年)~永享2年(1430年))は、室町時代中期の薩摩の人。薩摩島津氏の分家である総州家5代当主。父は4代の島津久世。
総州家5代にして最後の当主。4代久世の子。応永23年(1416年)、父の久世が島津宗家8代当主である島津久豊により謀殺される。久林は川内碇山城にて抵抗していたが、頼みとしていた伊集院頼久が降伏したため祖父守久の下へ逃げ込む。守久が宗家9代当主の忠国に敗れると、守久ともに肥前へ亡命。後に薩摩真幸院に潜伏していたが、忠国に急襲され自害、総州家は断絶する。なお彼の死後島津の領国では一揆が頻発。忠国はこれを抑えることができず弟の用久を守護代に任命、隠居している。
- 島津氏(総州家)当主
- 1416~1430
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- 先代:
- 島津久世
- 次代:
- (断絶)