山崎一夫 (プロレスラー)
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山崎一夫 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 山崎一夫 |
本名 | 山崎一夫 |
ニックネーム | 一匹狼 山ちゃん |
身長 | 188cm |
体重 | 103kg |
誕生日 | 1962年8月15日 |
出身地 | 東京都港区 |
所属 | 新日本プロレス |
スポーツ歴 | レスリング |
トレーナー | 佐山聡 |
デビュー | 1982年5月6日、クロネコ戦 |
引退 | 2000年1月4日、永田裕志戦 |
山崎 一夫(やまざき かずお、1962年8月15日 - )は、元プロレスラー、タレントである。通称山ちゃん。
入場曲は引退まで「UWFメインテーマ」を使用し、ファンの間で絶大な人気がある。
[編集] 経歴
一時、引退し佐山聡が主催するジムでインストラクターを務めていたが、プロレスへの想いを断ち難く、1984年にUWFへ参戦。前田日明、高田延彦らと一時代を築く。
1991年、高田延彦らとUWFインターナショナルの旗揚げに参加。高田の脇を固める2番手のポジションに就く。強豪外国人が参戦した際は高田に当たる前に対戦した。目玉選手がいないときは自ら高田の相手となり、「困ったときの山ちゃん頼み」と言われた。当時はREEBOKのタイツを履いていた。
1995年にフリー宣言し、新日本プロレスへの殴り込みを表明する。この参戦には、UWFインター内での確執や山崎の個人的事情が影響していると言われるが、直後に起きた新日本・Uインター全面対抗戦とは関係がなく、山崎自身、「なんで俺について来るんだよ」と語っている。また、U嫌いを公言していた当時の現場監督 長州力が、山崎だけは高く買っていたのも事実である。当時新日本の別働隊だった平成維震軍興行における後藤達俊戦がフリー第1戦。立場上ヒールの振る舞いを見せていた山崎だったが、ファンは皆彼の「いい人」ぶりを知っており、リングに立った瞬間に大「山崎」コールを送った。
その後新日本本体の興行にも参戦し、フリー的立場を貫いていたが、やがて本隊と合流。1998年のG1クライマックス 決勝進出(相手は橋本真也)が最大の晴れ舞台となった。よく飯塚高史とタッグを組んでいたが、他にUWF色の強い永田や木戸とも組み「山崎隊」と呼ばれていた。
1999年に引退。
現在は神奈川県綾瀬市で整体治療院を経営する傍ら、NHKで番組の司会を務めるなど、芸能活動も行っている。 またワールドプロレスリングレギュラー解説者としても活躍している。元プロレスラーらしからぬ、とても優しく判り易い口調で喋るのが特徴。
2005年10月、長州力が新日本プロレス現場監督に就任したことを受け、同社道場コーチに就任。契約期間は1年。
[編集] その他
一丸の相撲漫画・おかみさんの春日親方のモデルになっている。(名は山咲一雄。現役時の四股名は山風)
[編集] 外部リンク
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