山口県立徳山高等学校
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山口県立徳山高等学校 | |
過去の名称 | 徳山中学校(旧制)、徳山高等女学校(旧制) |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山口県 |
併合学校 | なし |
創立 | 1880年 |
校訓 | 「真・健・和」(真実・健全・和気) |
教育方針 | 文武両道 |
創立記念日 | 不明 |
創立者 | 山口県 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型連携型ともになし |
分校 | なし |
課程 | 全日制、定時制 |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
設置学科 | 普通科、理数科(全日制のみ) |
学科内専門コース | なし |
専攻科 | なし |
別科 | なし |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒745-0061 |
山口県周南市鐘楼町2-50 | |
電話番号 | 0834-21-0099 0834-21-0198(FAX) |
外部リンク | 公式サイト |
山口県立徳山高等学校(やまぐちけんりつとくやまこうとうがっこう)は、山口県周南市にある公立高等学校で、全日制普通科(定員280名)、全日制理数科(40名)、定時制普通科(40名:4年制)がある。通称、徳高(とっこう)。山口県周南学区(周南市、下松市、光市)に属し、学区内最難関校。
目次 |
[編集] 概要
- 所在地は山口県周南市(旧徳山市)鐘楼町。JR徳山駅下車 徒歩15分、または防長交通バス徳高前バス停 徒歩1分。
- 職域別、地域別にも同窓会が置かれており、山口県内外に多数の人材を輩出している。累計卒業者数は35,600余名(2003年)。
- 「文武両道」を校風とする伝統ある高等学校。学校の伝統として、「オガタマの木」(かぐわしく世を支える人物たれ)、および「耿光(こうこう)の碑」(明らかな光 徳盛んなる様)がある。
- 下関西、宇部、山口、と並ぶ県内トップクラスの進学校として有名であり、東大、京大などの旧帝国大、山口大や広島大などの地元国立大や早稲田、慶應大、同志社大、立命館大などの難関私立大に大半の卒業生が進学する。例年、現役生の約50%は国公立大に進学しており、国公立大進学者の割合が多い。
- 部活動では、運動部が14部、文化部が24部あり、各部ともに県内外の大会で優秀な成績を修めている。2005年度山口県高等学校選手権大会(運動部)では、県内の学校別総合成績第2位で、スポーツも盛んである。1987年(昭和62年)には、第69回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)への出場経験もある。部活動を引退まで続けた者も有名国公立大学へ進学をしている。
- 学校歌として、校歌(3番まであるが、戦後廃止され現在は2番まで)、応援歌「山は岐山」、生徒歌「熱い血潮」の3曲がある。(学校歌)
- 同窓会は、応援歌に由来し「岐山会」という。岐山とは、徳山高校の北側に位置する山の名前である(別名:金剛山-こんごうさん-)。
- 県内では、徳高(とっこう)の名称で知られ、毎年9月の第2日曜日とその前日の土曜日には、文化祭の「徳高祭」が開催される。また、徳高祭の前週(9月第1日曜日)には「運動会」が開催され、アーチや応援ダンスなどに力が入れられている。
- 個々の学力向上と進路実現に向けて、2000年度(平成12年度)からは2学期制(前・後期)を導入し、隔限60分授業(2・4・6時限:60分)を実施している。
- 総合的な学習の時間には魁(さきがけ)講座という進路指導を行っている。魁とは本校校歌2番の歌詞でもある。
- 第3回考査終了後にはマラソン大会があり、進学校としてはめずらしく、全校生徒が男子12km女子7kmの山道を走る。
- 人権教育を大切にしており、生徒の心の育成を指導している。
- 通学生は、電車、バス、自転車、徒歩等様々な方法で登校する。交通の便がよい。
[編集] 沿革
- 1880年(明治13年) 山口県5中学の一つとして、「旧制徳山中学校」開校
- 1912年(明治45年) 「旧制徳山高等女学校」開校
- 1948年(昭和23年) 徳山西高等学校(前身:徳山中学校),徳山東高等学校(前身:徳山高等女学校)新制高校開校
- 1950年(昭和25年) 高校再編により両校を統合し、「山口県立徳山高等学校」に校名変更
- 1970年(昭和45年) 校訓「真・健・和」制定
- 1971年(昭和46年) 全日制理数科設置
- 1980年(昭和55年) 創立100周年記念式典挙行
- 1987年(昭和62年) 第69回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)出場
- 2000年(平成12年) 創立120周年
- 卒業生総数35,600余名(2003年)
[編集] 主な卒業生等
- 赤松克麿 徳山中学中退。社会活動家、戦前の衆議院議員
- 安倍源基 戦前の内務官僚、終戦時の内務大臣
- 磯村厳 トヨタ自動車元副会長
- 伊東敏恵 NHKアナウンサー
- 今井麻美 声優
- 岩崎民平 東京外国語大学教授、研究社の英和大事典の改訂
- 小川亮 元徳山市長、元岡山県副知事、現山口県立徳山高等学校同窓会岐山会会長
- 斉藤まりあ 日本テレビアナウンサー
- 佐藤良子 日本テレビアナウンサー
- 貞本義行 アニメーター、漫画家
- 重広恒夫 登山家
- 田中彰 日本史研究者、北海道大学名誉教授
- 田村實造 東洋史研究者、京都大学文学部名誉教授
- 手塚英孝 プロレタリア文学作家
- 難波大助 徳山中学中退、虎ノ門事件の犯人
- 橋詰洋三 元中央大学法学部教授
- 林要 社会運動史研究者
- 福田靖 脚本家
- 藤井英俊 大阪大学接合科学研究所助教授 早大卒
- 宮本顕治 元日本共産党中央委員会議長、元参議院議員(2期)
- 森園みるく 漫画家
- 横道清孝 政策研究大学院大学教授
- 亘寒太 種田山頭火と交流のあった俳人
[編集] その他
- 与謝野鉄幹 元徳山女学校に教員として在職。卒業生ではない 与謝野鉄幹が教鞭をとった徳山女学校は鉄幹の兄が婿入りしていた、徳山の徳応寺の赤松家により設立された白蓮女学校が前身で徳山高校の前身である徳山高等女学校とは関係はない。
[編集] 参考文献
- 徳原啓『徳高物語』鳳鳴館 1978年