尼子十勇士
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尼子十勇士(あまごじゅうゆうし)は、戦国大名尼子氏の家臣のうち十人の優れた武士を列記したもの。山中鹿介などが含まれ、立川文庫などの講談により有名になったが、江戸時代からその呼び名は知られていた。『後太平記』(延宝五年1677年刊、草稿は元和三年1617年に完成していたというが疑いがある)に既に「尼子十勇士」の文言がみえるが、鹿介らの同時代史料にはない。その後『常山紀談』や『陰徳太平記』など、数々の軍記物に登場するようになったが、十人の氏名は各書ばらばらで、実在の人物ではなさそうな名前も多い。
『後太平記』(山中鹿之助、秋宅庵助、寺本生死助、尤道理助、今川鮎助、藪中荊助、横道兵庫助、五月早苗助、植田稲葉助)
『常山紀談』(山中鹿之介、薮原荊之介、五月早苗介、上田稲葉之介、尤道理之介、早川鮎之介、川岸柳之介、井筒女之介、阿波鳴戸之介、破骨障子之介)