小牧太
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小牧太(こまきふとし、1967年9月7日-)は、日本中央競馬会(JRA)の騎手である。鹿児島県出身。弟の小牧毅も兵庫県競馬組合所属の騎手である。
[編集] 来歴
兵庫県競馬組合時代は曾和直榮厩舎に所属していた。当時の勝負服の柄は緑胴 赤山形一本輪、そで赤。
初騎乗は1985年10月。曾和厩舎の主戦騎手として、楠賞全日本アラブ優駿3勝など、数々の重賞を制覇した。当時、兵庫県競馬に長く君臨していた田中道夫(現調教師)に引導を渡したのも彼である。兵庫県でのリーディング獲得は9年連続を含む10回を数える。
アラブ時代は縁が無かった三冠制覇は、サラブレッド導入2年目にロードバクシンで達成している。
JRAでの初勝利は1993年のワールドスーパージョッキーズシリーズ参戦時。ここでの表彰台に上がった際に涙したように非常に涙もろい。弟の小牧毅が重賞初制覇をした時は、本人の分も泣いていた。
なお、余談であるが、このワールドスーパージョッキーズシリーズでの勝利の翌月のJRAピーアールセンター発行の月刊誌「優駿」誌上で、さるコラムライターが自身のコラムにおいてこの様子を「1500万下の競走に勝って泣くとは前代未聞」と茶化してしまい、読者、果ては地方競馬の調教師からも抗議の手紙が寄せられ、編集部が誌面にて謝罪するという事態に発展したことがある。
ジョーク中心のコラムに対しては過剰とも思える反応のようだが、当時は地方競馬所属の騎手が中央競馬のレースに乗ることのできる機会はめったになく、さらに世界の一流のジョッキーばかりが乗るレースで勝つとなるとそれこそ至難の業であったことを付記しておく(中央競馬と地方競馬の交流が現在の形になったのは1995年以降)。
その後、兵庫県競馬にもサラブレッドが導入されたことから、JRAでの騎乗も増え、移籍前に重賞を2勝している。この頃から橋口弘次郎厩舎の所属馬に騎乗する機会が増えた。
2001年、2002年にJRAで20勝以上を挙げ、JRAの騎手試験の一次試験の筆記試験(国語・数学・競馬法規)が免除され二次試験(技能試験と面接)から受験できる資格を得た。2003年の同試験に合格し、2004年にJRAへ移籍。兵庫県競馬所属としての最後の勝利は、特別に「フェアウェルステージ」と改称されたレースで、同じくJRAへ移籍する赤木高太郎をマッチレースの末、クビ差抑えてのものだった。通算勝利は3376勝。
JRA所属となってからも兵庫への参戦は活発で、2004年は条件レベルの交流戦を中心に地方全体で10勝を挙げ、兵庫での重賞成績は4戦2勝2着2回。三冠の園田ダービー、菊水賞では兵庫所属のホクセツガーデンに騎乗している。
移籍して2年目の2005年までに重賞を8勝(地方込み)しているが、期待されたG1は未勝利である。芝でのレース運びが致命的に悪く、移籍前より下手になっていると陰口を叩かれる事もある。ダイタクバートラムでは同じようなミスを犯し、しかもミルコ・デムーロに乗り代わった途端に圧勝されるなど、与えられたチャンスを生かせていない。
2006年2月26日の阪神第2レースで勝利し、JRA通算200勝を達成。
[編集] 著書
- 「泣き虫ジョッキー フトシっ!」(2004年 オークラ出版)