小林宏之 (野球選手)
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小林宏之(こばやし ひろゆき、1978年6月4日 - )は、埼玉県草加市出身の千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手。ポジションは投手。右投げ右打ち。背番号は41。
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[編集] 投球スタイル・打撃
- 武器は長身から投げ下ろす140km/h前半~中盤の速球とスライダー、フォーク、チェンジアップなど。速球はまれに140km/h後半に達する場合もある(リリーフ時代はこれがMAXであったが、先発に転向してからはほぼ見られなくなった)
- 制球力には定評があり与四球率が低い。2005-2006年で共に規定投球回に達した投手の中で両年とも与四球30個未満はパ・リーグでは彼のみである。ちなみにセでは石川雅規のみ。またキレのある変化球(特にフォーク)を武器としており、奪三振率が高い。ピッチングスタイルは相手打者のウィークポイントを攻め、三振の取れる変化球を混ぜて打ち取っていくという、大きな特徴はないが制球力を生かしたバランスの取れたスタイルである。本人は自分の持ち味について「低目を丁寧につく投球」としばしばコメントしている。
- 常にセットポジションからの投球である。
- 2005年セ・パ交流戦ではバッティング技術も見せ、打率3割(10打数3安打、全て二塁打)、3打点をマーク。
- 野手としてのセンスには定評があり、延長戦で野手が足りなくなりそうな場合に備え小林はシーズン中いつもベンチ入りしており、実際に出場の準備をしたこともあるらしい。また投手の中でもフィールディングは上手い部類に入る。
[編集] 戦歴
2001年長く二軍生活が続いたが終盤より一軍に定着。 2002年当初は先発ローテーションの一角を期待されたが結果を出せず脱落。しかしその後セットアッパーに回り活躍する。8回小林宏之・9回小林雅英と繋ぐリレーは「小林リレー」と呼ばれ、勝ちパターンの継投として定着した。
2003年中盤から再び先発に復帰。今度は結果を出しローテーションに定着した。以後は完全に先発投手としての起用となる。
2005年、交流戦中の読売ジャイアンツ戦では、登板直前に第一子が誕生。「睡眠時間3時間ぐらい」(本人のインタビュー談話より)というコンディション中で粘投を見せ勝利を収める。その後ヒーローインタビューで、巨人戦中継で全国放送の中、子どもの誕生に喜びを見せた。
- 交流戦中、打撃では打率3割に3打点、投げては6試合で5勝0敗という抜群の成績を残しチームの交流戦優勝に貢献。初代の交流戦MVPを獲得した。
- 結果シーズン12勝6敗、防御率3.30の好成績でプレーオフ進出に大きく貢献した。
- プレーオフ1stステージ第2戦(対西武ライオンズ)で先発し、7回2/3を中村剛也のソロホームランの一点に抑える好投を見せた。また2ndステージ第4戦でも先発。完投するも打線の援護が無く、フリオ・ズレータに2HRを浴び3失点で敗戦投手となる。
- 日本シリーズは第3戦に先発し、敵地甲子園で阪神タイガース打線を6回1失点に抑え勝利。
2006年 前年の活躍を評価されWBC日本代表に選出。しかし渡米中に発熱などして調子が上がらず、本選で登板することはなかった。
- WBCの影響と思われる故障で開幕から出遅れ、4月27日に初登板(対オリックス・バファローズ)。2安打完封、98球で復帰勝利。
- 9月26日の西武ライオンズ戦で八回途中2失点の好投で松坂大輔に投げ勝ち10勝目を挙げ、2年連続の二桁勝利。
- ちなみに2006年は松坂大輔と3度投げ合い、いずれも勝利している。
[編集] 人物・エピソード
- 打撃には定評があり、交流戦などで度々その打棒を見せる(芽が出ない時期に野手転向を打診されているほどである)。
- チーム内に同姓であり同じく投手の小林雅英がいるので「小林宏」と表記される。愛称は小林雅の「コバマサ」に対して「コバヒロ」。
- 足が長くモデル体系であり、顔もなかなか整っているのでテレビ・ラジオなどでは「ロッテのイケメンエース」と紹介されることがある。
- ファッションにも気を使っており、好きなブランドはドルチェ・ガッバーナ(DOLCE & GABBANA)である。髪型や髪の色を頻繁に変えるのはファンの間でよく知られている。2005年のプレーオフ~日本シリーズではレッドソックスの選手にあやかり髪型をコーン・ロウスタイルにし話題を呼んだ。
- プレーオフ1stステージではコーン・ロウで登板し勝利投手。続く2ndステージでそれを止めたところ敗戦投手に。験を担ぎ日本シリーズでは再びコーン・ロウにして登板、勝利投手になっている。
- バスケットボールやサッカー好きで知られる(小学校時代はサッカー部だった)。それが原因か二遊間に抜けそうな打球を足で止めることがしばしばあり、テレビの好珍プレーにも何度か登場した。2006年のマリーンズ公式サイトのプロフィールには、特技の項に「足技」、ファンに自分のここを見て欲しいの項に「トラップ」と記載。
- プロ入り4年目までは芽が出ず、徹夜で酒を飲み歩いたまま練習に出るなど荒れた生活を送っていた。しかしヤクルトから入団した同級生の山崎貴弘に諭されマジメに練習に取り組み始め、その結果徐々に一軍定着を果たす。山崎がいなければ辞めていたと後に語る。当時から親交が厚い。(本人のインタビューから要約)
- 初勝利は2001年の7月9日福岡ダイエーホークス戦。延長10回表に救援の藤田宗一が3ランを浴び勝ち越しをされた後に2死から登板し打者1人を抑えた。その裏、無死満塁からフランク・ボーリックが逆転満塁サヨナラホームランを放ちチームは逆転勝利。劇的な試合の陰で初勝利を手にしている。
- 2004年の球宴に出場した際、巨人の小久保裕紀の頭部にフォークのすっぽ抜けを当ててしまう。その後ベンチ裏に謝罪に向かうが、大事には至らず小久保からは気にしないように言われたそうである。
- 2006年1月1日TBS系で放送された「筋肉番付 スポーツマンNo.1決定戦」では初参加ながら総合6位。運動神経の高さを見せた。
- ケミストリーの堂珍嘉邦に似ている。
[編集] プロフィール
身長 183cm 体重76kg
血液型 O型
甲子園出場経験 なし
愛称(ニックネーム) ヒロ
趣味 ゴルフ
好きな食べ物 肉
[編集] 略歴
- 春日部共栄高等学校から1996年ドラフト4位でロッテに入団。
- 1998年 初登板 7.4ダイエー(11回戦)11回完了(千葉マリン)
- 2001年 初三振奪取 6.18オリックス(12回戦)5回進藤(G.S.神戸)
- 初勝利 7.9ダイエー(18回戦)10回完了(千葉マリン)
- 2002~03年と中継ぎとして2年連続50試合以上に登板。
- 2003年 シーズン途中から先発に転向。初めて10勝に到達。
- 初完投勝利 9.28オリックス(25回戦)(千葉マリン)
- 2004年 先発ローテーションに定着。8月に月間MVPを獲得。
- オフに夫人と入籍。当時夫人は18歳になったばかりで話題を呼んだ(本人は当時26歳)。このことから、一部ネット上では「コバロリ」「ロリ様」と呼ばれている。
- 2005年 第一子(長男)誕生。
- 日本生命セ・パ交流戦最優秀選手賞(MVP)を獲得
- 初完封 .8.26オリックス(16回戦)(千葉マリン)
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選出。
- オールスター出場 2002年 2004年 2005年
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
199試合登板 49勝38敗0S 防御率3.44
チーム | 背番号 | 試合 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 勝率 | 投球回数 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 | |
1997 | ロッテ | 41 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | - |
1998 | 2 | 0 | 0 | 0 | .000 | 2 1/3 | 0 | 0 | 0.00 | ||
1999 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | - | ||
2000 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | - | ||
2001 | 22 | 1 | 4 | 0 | .200 | 56 | 45 | 23 | 3.70 | ||
2002 | 58 | 7 | 4 | 0 | .636 | 81 2/3 | 84 | 23 | 2.53 | ||
2003 | 50 | 10 | 10 | 0 | .500 | 145 1/3 | 117 | 62 | 3.84 | ||
2004 | 24 | 9 | 7 | 0 | .563 | 154 1/3 | 137 | 73 | 4.26 | ||
2005 | 23 | 12 | 6 | 0 | .667 | 160 2/3 | 129 | 59 | 3.30 | ||
2006 | 20 | 10 | 7 | 0 | .588 | 142 2/3 | 120 | 44 | 2.78 | ||
計 | 199 | 49 | 38 | 0 | .563 | 743 | 632 | 284 | 3.44 |
[編集] 関連項目
千葉ロッテマリーンズ - 2007 | |
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00 代田建紀 | 0 荻野忠寛 | 1 大嶺祐太 | 3 サブロー | 5 堀幸一 | 7 西岡剛 | 8 今江敏晃 | 9 福浦和也 | 10 大松尚逸 | 11 神田義英 | 12 藤田宗一 | 13 浅間敬太 | 14 小宮山悟 | 15 柳田将利 | 16 久保康友 | 17 手嶌智 | 18 清水直行 | 19 ワトソン | 20 薮田安彦 | 21 内竜也 | 22 里崎智也 | 23 大塚明 | 24 平下晃司 | 25 竹原直隆 | 27 古谷拓哉 | 28 加藤康介 | 29 小野晋吾 | 30 小林雅英 | 31 渡辺俊介 | 32 根元俊一 | 33 橋本将 | 35 三島輝史 | 36 黒滝将人 | 37 林啓介 | 38 中郷大樹 | 39 田中雅彦 | 40 渡辺正人 | 41 小林宏之 | 44 早川大輔 | 45 松本幸大 | 46 呉偲佑 | 47 山崎健 | 48 高木晃次 | 49 川崎雄介 | 50 ベニー | 51 龍太郎 | 52 塀内久雄 | 53 相原勝幸 | 54 黒木知宏 | 55 神戸拓光 | 56 木興拓哉 | 57 佐藤賢治 | 58 青野毅 | 59 細谷圭 | 60 成瀬善久 | 61 角中勝也 | 62 金澤岳 | 63 青松敬鎔 | 64 藤井宏海 | 65 南竜介 | 66 末永仁志 | 67 新里賢 | 68 早坂圭介 | 69 江口亮輔 | 70 定岡卓摩 | 99 田中良平 | |
2 監督 ボビー・バレンタイン | 78 西村徳文 | 79 井上祐二 | 75 高沢秀昭 | 85 袴田英利 | 88 荘勝雄 | 83 ランペン | 87 高橋慶彦 | 90 立花龍司 | 71 二軍監督 古賀英彦 | 76 佐藤兼伊知 | 81 園川一美 | 89 佐野嘉幸 | 72 平井光親 | 73 諸積兼司 | 77 吉鶴憲治 |
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球団 | |
2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 |
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1 岩村明憲 | 2 小笠原道大 | 3 松中信彦 | 5 和田一浩 | 6 多村仁 | 7 西岡剛 | 8 今江敏晃 | 9 金城龍彦 | 10 宮本慎也 | 11 清水直行 | 12 藤田宗一 | 15 久保田智之 | 17 福留孝介 | 18 松坂大輔 | 19 上原浩治 | 20 薮田安彦 | 21 和田毅 | 22 里崎智也 | 23 青木宣親 | 24 藤川球児 | 25 新井貴浩 | 27 谷繁元信 | 31 渡辺俊介 | 40 大塚晶則 | 41 小林宏之 | 47 杉内俊哉 | 51 イチロー | 52 川﨑宗則 | 59 相川亮二 | 61 石井弘寿/馬原孝浩 |
89 監督 王貞治 | 84 武田一浩 | 85 辻発彦 | 86 鹿取義隆 | 87 大島康徳 | 88 弘田澄男 | 項 | |