黒木知宏
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黒木 知宏(くろき ともひろ、1973年12月13日 - )は、宮崎県日向市出身の平成期(1990年代後半~)のプロ野球選手。ポジションは投手。右投げ右打ち。178cm、74kg、O型。ニックネームは「ジョニー」。背番号は54番。
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[編集] 来歴・人物
入団時に黒木が自分を「ジョニーと呼んでくれ」と言ったのがそのまま定着した。ウイスキーの「ジョニ黒」(=ジョニーウォーカー黒ラベル)から来ているという説、あるいは社会人時代に山本譲二に似ていたことから「ジョージ」と呼ばれていたが、あまり気に入っていなかったために新しい愛称を公表したという説、さらに同じ年にドラフト1位で入団した大村三郎が登録名を「サブロー」としたことで、大村への対抗意識から前述のようなアピールにつながったとする説もある。
イチローがその実力を認めた選手の一人。エースと呼ばれる前から「球に気持ちが入っている」「一番タフな対戦相手」と高く評価していた。
通称、「魂のエース」。長らく千葉ロッテマリーンズのエースとして低迷時代を支えてきたが、ここ数年は肩の故障に泣く右腕。しかし未だにファンから絶大な支持を得、登板時には誰よりも大きな声援を送られる。“復活のマウンドで勝利投手となりお立ち台に立つのが今の目標”との事。
趣味は釣り、パチンコ。オフはほとんど釣りに没頭しているとか。スポーツニュース出演時に釣りの話を振られ、野球の話題そっちのけで釣りの話を延々続けた事もある。
弁当の呪いを受けた選手の一人でもある。(ロッテ項目も参照のこと)
[編集] エピソード
- 背番号54は前任の石田雅彦(現在・打撃投手)より譲られてから不変。石田に「お前の為にこの番号を暖めておいたよ」と言われたのを今でも恩義に感じているらしい。
- ケガをして以来黒木は走り込みを欠かさず行ってきた。ロッテ浦和球場には黒木が同じところを繰り返し走った結果、そこだけ踏み固められて草(芝)がなくなり道のようになった場所があり、ファンや関係者からは「黒木ロード」と呼ばれている。
- 宮崎訛りがいまだに抜けていない(もっとも、それによってトークに独特の味が出ている)。
[編集] 略歴
- 延岡学園高等学校卒、社会人野球は新王子製紙春日井(現在の王子製紙)に所属。
- 1995年 ドラフト2位でロッテに入団。先発、リリーフとフル回転し、6月30日に初完封勝利。
- 1996年 先発ローテ入りし、初めて規定投球回数に到達。やがてチームを支えるエースに成長。
- 1997年 初の防御率2点台を記録。240イニング以上投げ、13完投とともにリーグ最多。
- 1998年7月7日 チームは16連敗中。この日のオリックス・ブルーウェーブ戦に連敗脱出をかけ、先発。9回2アウト、勝利目前まできたが、ハービー・プリアムに同点2ランホームランを浴びて、連敗脱出は失敗に終わる。その時、黒木は涙を流した。“七夕の悲劇”と呼ばれている。オールスターに初出場。この年に最多勝利・最高勝率のタイトルを獲得した。
- 1999年 オールスターゲームに出場。
- 2000年 シドニーオリンピック野球日本代表に選ばれ、準決勝キューバ戦に先発したが敗戦。4位に終わる。
- 2001年 開幕から9連勝。しかし、右肩痛のため、戦線離脱。オールスターゲーム(強行)出場(パリーグ投手部門1位)を最後に一軍から姿を消す。
- 2004年6月 3年ぶりに勝利を飾る。オフの契約更改では自ら申し出て球団提示額より1000万減で契約。
- 2005年 今度は右ひじを痛めて大幅に出遅れる。しかし8月28日、本拠地でのオリックス・バファローズ戦で先発し3万のマリーンズファンに支えられ1年2ヶ月ぶりに勝利。この勝利は千葉ロッテマリーンズのパ・リーグプレーオフ進出と、10年ぶりのAクラスを確定するものだった。
- 2006年7月28日 1ヵ月半振りに1軍出場選手登録され、その日のスカイマークスタジアムでのオリックス・バファローズ戦の12回1アウトから高木晃次の後を受け8番手で登板。2アウトにした後下山真二にヒットを打たれるもののきっちり後続を断ち、プロ12年目で初セーブを記録した。
[編集] 概要
- 身長・体重:178㎝ 84㎏
- 血液型:O型
- 投打:右投右打
- 出身地:宮崎県日向市
- 球歴・入団経緯:延岡学園高 - 新王子製紙春日井 - 千葉ロッテ(1996年 - )
- プロ入り年度・ドラフト順位:1995年(2位)
- 背番号:54
- FA取得:なし
- 英語表記:KUROKI
- 推定年俸:1,600万(2007年)
- 守備位置:投手
[編集] 通算成績(2005年シーズン終了時)
193試合 76勝68敗0S 防御率3.43 奪三振874個 勝率.528
チーム | 背番号 | 試合 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 完投 | 勝率 | 投球回数 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 | |
1995 | ロッテ | 54 | 20 | 5 | 7 | 0 | 1 | .417 | 80 | 58 | 33 | 3.71 |
1996 | 28 | 8 | 7 | 0 | 0 | .533 | 135 2/3 | 90 | 54 | 3.58 | ||
1997 | 32 | 12 | 15 | 0 | 13 | .444 | 240 2/3 | 179 | 80 | 2.99 | ||
1998 | 31 | 13 | 9 | 0 | 8 | .591 | 197 | 124 | 72 | 3.29 | ||
1999 | 29 | 14 | 10 | 0 | 7 | .583 | 212 2/3 | 171 | 59 | 2.50 | ||
2000 | 26 | 10 | 12 | 0 | 5 | .455 | 160 | 134 | 92 | 5.18 | ||
2001 | 17 | 11 | 4 | 0 | 4 | .733 | 125 | 89 | 42 | 3.02 | ||
2002 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | ||
2003 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | ||
2004 | 7 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 34 2/3 | 20 | 17 | 4.41 | ||
2005 | 3 | 2 | 1 | 0 | 0 | .667 | 17 2/3 | 9 | 9 | 4.58 | ||
計 | 193 | 76 | 68 | 0 | 38 | .528 | 1203 1/3 | 874 | 458 | 3.43 |
[編集] 主なタイトル
- 1998年
- 1998年
- 月間MVP
- 2000年9月、2001年5月
[編集] 主な著書
- 「マウンドの記憶-黒木知宏、17連敗の向こう側へ」(2000年-毎日コミュニケーションズ 平山譲著)
[編集] 出演CM
[編集] 関連項目
千葉ロッテマリーンズ - 2007 | |
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00 代田建紀 | 0 荻野忠寛 | 1 大嶺祐太 | 3 サブロー | 5 堀幸一 | 7 西岡剛 | 8 今江敏晃 | 9 福浦和也 | 10 大松尚逸 | 11 神田義英 | 12 藤田宗一 | 13 浅間敬太 | 14 小宮山悟 | 15 柳田将利 | 16 久保康友 | 17 手嶌智 | 18 清水直行 | 19 ワトソン | 20 薮田安彦 | 21 内竜也 | 22 里崎智也 | 23 大塚明 | 24 平下晃司 | 25 竹原直隆 | 27 古谷拓哉 | 28 加藤康介 | 29 小野晋吾 | 30 小林雅英 | 31 渡辺俊介 | 32 根元俊一 | 33 橋本将 | 35 三島輝史 | 36 黒滝将人 | 37 林啓介 | 38 中郷大樹 | 39 田中雅彦 | 40 渡辺正人 | 41 小林宏之 | 44 早川大輔 | 45 松本幸大 | 46 呉偲佑 | 47 山崎健 | 48 高木晃次 | 49 川崎雄介 | 50 ベニー | 51 龍太郎 | 52 塀内久雄 | 53 相原勝幸 | 54 黒木知宏 | 55 神戸拓光 | 56 木興拓哉 | 57 佐藤賢治 | 58 青野毅 | 59 細谷圭 | 60 成瀬善久 | 61 角中勝也 | 62 金澤岳 | 63 青松敬鎔 | 64 藤井宏海 | 65 南竜介 | 66 末永仁志 | 67 新里賢 | 68 早坂圭介 | 69 江口亮輔 | 70 定岡卓摩 | 99 田中良平 | |
2 監督 ボビー・バレンタイン | 78 西村徳文 | 79 井上祐二 | 75 高沢秀昭 | 85 袴田英利 | 88 荘勝雄 | 83 ランペン | 87 高橋慶彦 | 90 立花龍司 | 71 二軍監督 古賀英彦 | 76 佐藤兼伊知 | 81 園川一美 | 89 佐野嘉幸 | 72 平井光親 | 73 諸積兼司 | 77 吉鶴憲治 |
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球団 | |