小平忠
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小平 忠(こだいら ただし、大正4年(1915年)8月1日 - 平成12年(2000年)12月3日)は、日本の政治家。愛知県に生まれたが、その後北海道空知郡栗沢町(現・岩見沢市)に引越したので同地を出身地とした。民主党衆議院議員の小平忠正は息子。
昭和16年(1941年)日本大学経済科を卒業。北海道農協中央会専務理事を経て、昭和24年(1949年)国民協同党公認で第24回衆議院議員総選挙に立候補し初当選。日本社会党を経て民主社会党(民社党)の結成に参加。この間、民社党副委員長、民社党国会議員団長、民社党常任顧問等を歴任した。昭和61年(1986年)第38回衆議院議員総選挙(衆参同時選挙)に落選して政界引退。息子の忠正に地盤を譲った。
急性肺炎のため85歳で死去。著書に『農業団体統合論』がある。