審栄
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審栄(しんえい、生没年不詳)は三国志に登場する人物。袁紹配下の臣。審配の甥(兄の子)。
袁紹伝の注に付伝された審配伝で登場する。袁紹没後、曹操が袁尚の本拠である鄴(ギョウ)を攻めた際、総大将を務める叔父審配の指揮の下で門を守備していた彼は曹操に寝返った。そして夜中に城門を開いて曹操軍を迎え入れた。そのため、審配は曹操に敗れ捕らえられ処刑された。その後の審栄の消息は不明である。
三国志演義では審配に一族を皆殺しにされた辛毗に同情して曹操に内通したという展開になっているが、正史では審栄が開門し曹操の兵が攻め寄せたのちに、袁家の没落の原因は辛評(辛毗の兄)と郭図にあると考え憤激した審配が、獄につないでおいた辛評の一族を処刑している。審配が捕らえられた後曹操が開門した人物は審栄だと告げるくだりは正史とほぼ同一である。