宮崎神宮
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宮崎神宮 | |
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所在地 | 宮崎県宮崎市 |
位置 | -- |
主祭神 | 神武天皇 |
社格等 | 官幣大社・別表神社 |
創建 | -- |
本殿の様式 | -- |
例祭 | 10月26日 |
主な神事 | -- |
宮崎神宮(みやざきじんぐう)は、宮崎県宮崎市神宮二丁目にある神社である。地元では「神武さま」呼ばれ親しまれている。旧社名は宮崎神社、宮崎宮など。
神武天皇の孫で、筑紫を開拓した健磐龍命が創建したと伝えられており、かなり古い歴史を持つが、正確な造営時期・由緒は不明である。文献に登場する最も古い記録は、建久8年(1197年)に地元の地頭の土持太郎信綱が現在地に社殿を造営したという事実である。このころには、神武天皇が東征する前に宮を置いていた高千穂宮が宮崎の神宮・下北方一帯であるという説が定着していた。近くには皇居跡と伝えられる皇宮屋(こぐや)がある。
神武天皇に対する崇敬により、歴代の領主から深い崇敬を集めてきた。明治維新により、神武天皇の最初の宮の地として重視されるようになった。1898年には高木兼寛らを中心に神武天皇御降誕大祭会が組織され、全国から多くの寄付を集め、現在の本格的な社殿が整備され、宮崎神宮と改称した。
毎年10月下旬には宮崎神宮大祭(御神幸祭)が行われ、神宮から瀬頭の御旅所まで神賑行列が練り歩く宮崎の恒例行事である。また、宮崎神宮の周辺は、宮崎を代表する閑静な住宅街として人気のエリアである。
目次 |
[編集] 沿革
- 1197年 - 地頭・土持太郎信綱が社殿を造営
- 1473年 - 伊東祐国が蓮ヶ池・下北方より社領を奉献
- 1562年 - 伊東義祐が下北方・江平にて神地を奉献
- 1644年 - 有馬康純が造営改築
- 1813年 - 造営改築
- 1839年 - 造営改築
- 1873年 - 県社となり、神武天皇宮(神武天皇社)から宮埼神社と改称
- 1875年 - 国幣中社に昇格
- 1878年 - 宮崎宮と改称
- 1885年 - 官幣大社に昇格
- 1907年 - 現在の社殿が完成する
- 1913年 - 宮崎神宮と改称