宍戸隆家
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宍戸 隆家(ししど たかいえ、1518年(永正15年) - 1592年(文禄元年))は、戦国時代の武将。毛利氏の家臣。父は宍戸元家、祖父は宍戸元源である。母は山内直通の娘。息子に宍戸元秀、孫に宍戸元続。娘は南の方(毛利輝元室)、某(河野通宣室)など。
父・元家の戦死後、母は実家である山内家に戻されたが、まもなく妊娠していたことが発覚し、隆家が誕生した。外祖父・山内直通の下で養育され、成長したのちに宍戸氏に復帰した。家臣の讒言により後見役であり、叔父の宍戸隆忠を殺害し、因果関係は不明だが一時失明している。
宍戸氏は安芸国の国人として代々毛利家と争っていたが、毛利元就の長女を妻として迎え、吉川元春や小早川隆景らと軍事行動を共にした。元就、隆元からも重用され、元就は宍戸隆家を一門同様として扱うように隆元らに命じている。隆家も元就の期待に添う活躍をし、忠節を尽くしたことから、江戸時代以降も宍戸氏は一門筆頭とされた。
隆家は積極的に毛利家との婚姻を進め、次女が吉川元春の嫡男・吉川元長正室に、三女が毛利輝元の正室となっている。 74歳で死去、墓所は広島県安芸高田市にある。