宍戸元家
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宍戸 元家(ししど もといえ、1434年(永享6年) - 1509年(永正6年))は、安芸国国人宍戸氏の当主。父は常陸国宍戸氏の宍戸時宗。子に宍戸元源・深瀬隆兼・宍戸家俊。
安芸国五龍城を居城とした。
1434年、常陸宍戸氏宍戸時宗の子として生まれる。成人後、諸国へ放浪し武者修行の旅を続けていた。その途中で縁戚である安芸宍戸氏の五龍城に立寄った。当時の安芸宍戸氏当主宍戸興家は暗君で、領民は悪政に苦しみ、家臣にも不満が広まっていた。元家の中に名君の資質を見抜いた宍戸氏の家臣は、興家に家督を元家へ譲るよう強要した。
1478年、興家は家督は元家に譲り、安芸宍戸氏の当主に常陸宍戸氏の血が入ることになったのである。
1504年に家督を子の元源に譲り、自身は子の隆兼を連れて祝屋城に入り隠居した。
1509年、76歳にて没。
[編集] 余談
家臣に推されて安芸宍戸氏後継となった元家であるが、実際はこのような美談ではなかったと思われる。元家以降の安芸宍戸氏の墓は現存するものの、元家以前の安芸宍戸氏の墓は現存していない。これは元家が宍戸氏の家督を簒奪したことを隠蔽する為に、元家の治世以降に証拠となる歴代宍戸氏の墓地を破壊した可能性が高いことを示すものである。
宍戸元家は常陸宍戸氏の系譜に連なる人物ではなく、安芸宍戸氏の庶流で、家督を簒奪し、自己の正当性を示す為に自身を常陸宍戸氏の流れだと称した可能性も考えられる。
[編集] 宍戸元家(宍戸元源嫡子)
宍戸 元家(ししど もといえ、1498年(明応6年) - 1518年(永正15年)は、安芸の国人宍戸氏の一族。父は宍戸氏当主の宍戸元源。子に宍戸隆家。妻は山内直通娘。
従五位下、左衛門尉。
上記の宍戸元家と同名で、その孫にあたる。
1518年に21歳の若さで討死したとされる。死亡時に子は無かったものの、実家に戻された夫人が妊娠していることが判明し、同年に嫡子・宍戸隆家が誕生している。
なお、彼の子の隆家も一時元家と名乗ったことがある。