安藤治久
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安藤 治久(あんどう はるひさ)は1937年生まれの元プロ野球選手(投手)。静岡県出身。右投げ右打ち。
市立沼津高から大昭和製紙吉原を経て1959年阪急ブレーブス入団。 米田哲也・梶本隆夫の2投手で支えていた低迷期の阪急ブレーブス(通称:ヨネカジ時代)にて、2人に次ぐ年間登板数を重ねていた。 6年間の現役生活の末、1964年シーズンを以って現役引退。
目次 |
[編集] 成績
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 背番号 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | 防御率 |
1959 | 阪急 | 14 | 44 | 8 | 10 | 3.23 |
1960 | 阪急 | 14 | 42 | 7 | 13 | 3.45 |
1961 | 阪急 | 14 | 47 | 6 | 10 | 2.81 |
1962 | 阪急 | 14 | 36 | 7 | 11 | 3.94 |
1963 | 阪急 | 14 | 29 | 7 | 10 | 4.70 |
1964 | 阪急 | 14 | 31 | 4 | 3 | 3.52 |
[編集] 通算成績
229試合登板 39勝 54敗 防御率3.55
完投21 交代完了58 試合当初90 完封勝利6 打者3545 投球回数834
被安打855 被本塁打57 与四球253 与死球20 奪三振456 自責点329
[編集] 記録
1960年6月12日の西鉄ライオンズ戦で勝利投手になり、これは阪急の歴代右投手があげた1000勝目。
阪急(オリックス)は伝統として右投げの名投手が多く、2005年シーズンまでの通算4360勝のうち、3500勝が右投手によるものである。2000勝目は1976年に山口高志、3000勝目は1995年に野田浩司があげている。