山口高志
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山口 高志(やまぐち たかし、1950年5月15日 - )は兵庫県神戸市長田区出身。昭和後期から平成期(1970年代後半~2000年代前半)のプロ野球選手(投手)、投手コーチ。右投右打。背番号14。150キロ以上と推定される速球を投げ、阪急の黄金時代を支えた。
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[編集] 来歴・人物
神戸市立神港高等学校、関西大学へ進学、大学卒業時にヤクルトスワローズからドラフト4位指名を受けるが、入団拒否し、松下電器入社。1975年にドラフト1位で阪急ブレーブスに入団(背番号:14)。身長170cmと小柄ながら豪速球で新人王を獲得。1978年にはリリーフに転向し、最優秀救援投手のタイトルを獲得する。1979年以降から肩を痛め、1982年に引退。
その後は1983年より阪急・オリックス、2003年からは阪神でコーチを務め、2005年からは阪神の西日本地区のスカウトとして働いている。最近では阪神コーチ時代に藤川球児の覚醒のきっかけを作った人物としても知られる。
現役の頃はまだスピードガンがなかったが、伝説の速球投手として有名。迫力のある投球フォームから投げる剛速球は160キロ近かったとも言われているが、同時代に活躍した山田久志のほうが速かったという説もある。ただし、山口の登場で山田はストレートでは太刀打ちできないとストレート一本の投球スタイルを変えてシンカーを覚えたと言うこともあり、その説は一部で疑問視されている。また、山田は山口について「高志は終速150キロだ」と語っており、非常に伸びのある速球が、実際の速度以上にスピードを感じさせていたことは間違いない。 しかし、その豪速球は入団1年目がピークで2年目以降から下降線をたどるようになってしまった。
山田久志によると、山口の現役時代のフォームは、いつも振り切った右腕が左太ももにあたったほどであったという。
[編集] 通算成績
- 50勝43敗44セーブ
- 防御率3.18
- 600奪三振