安藤楢六
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安藤 楢六(あんどう ならろく、1900年9月14日 - 1984年1月11日)は、日本の実業家。
大分県出身。郷里の先輩に当たる利光鶴松を頼り、小田原急行鉄道に入社。その後、小田急は陸上交通事業調整法による合併を経て大東急となり、安藤も東急取締役・副社長を歴任する。戦後、大東急が独占禁止法との絡みで旧社ごとの独立の動きが起こり、安藤は旧小田急を引き継ぐ新会社の設立発起人に就任。同社が小田急電鉄として発足すると共に東急を辞し、小田急電鉄の初代社長となった。
小田急社長就任後は箱根の観光開発に注力し、堤康次郎率いる西武鉄道系の伊豆箱根鉄道と対立。かつての親会社だった東急も絡んで箱根山戦争と呼ばれる競争を繰り広げた。