守覚法親王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
守覚法親王(しゅかくほっしんのう、久安6年3月4日(1150年4月3日) - 建仁2年8月26日(1202年9月13日))は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての皇族・僧。父は後白河天皇。母は藤原季成の娘成子。真言宗仁和寺第6世門跡。
1160年(永暦元年)覚性入道親王に師事して出家、1168年(仁安3年)には伝法灌頂を受けている。翌1169年(嘉応元年)覚性入道親王が没したのち、その跡を継いで仁和寺御室(門跡)に就任した。高倉天皇の第1皇子言仁親王(後の安徳天皇、後白河天皇の孫にあたる。)誕生の際には出産の祈祷を行っている。小野流・広沢流両流の法を受けた。1202年(建仁2年)、仁和寺喜多院で死去。
和歌に優れ、家集『守覚法親王集』『北院御室御集』がある。また、仏教関係の著書には『野目鈔』『左記』『右記』などがある。『北院御日次記』という日記も記した。
カテゴリ: 歴史関連のスタブ項目 | 平安・鎌倉時代の皇族 | 僧 (日本) | 平安時代の歌人 | 天台系仏教 | 1150年生 | 1202年没