太秦
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太秦(うずまさ)は京都府京都市右京区の一帯をいう。現在は梅津以北から北区に挟まれた住宅地をいう。
かつて多くの映画会社が時代劇映画の撮影所を置いていたことで知られ、牧野省三・マキノ雅弘親子らのマキノプロ、阪東妻三郎プロ、片岡千恵蔵プロなどのほか、中小の映画会社のおびただしい数の撮影所が密集し、やがて大映、日活、松竹など大映画会社の撮影所に集約されていった。1950年代の時代劇最盛期はこの界隈は大変な賑わいを見せた。
大映、日活などはすでに撤退したが、東映京都撮影所 (戦後大映から旧新興キネマ京都撮影所を買収して京都に進出。東映太秦映画村があることで有名)、松竹京都撮影所(1965年閉鎖、現在は松竹京都映画が使用)の二か所のスタジオが現在も映画・ドラマなどを制作している。
太秦の由来は、渡来系の秦氏がヤマト政権に税を納める際、用いた絹が「うずたかくつもられた」ことから、朝廷から「うずまさ」の姓を与えられた。そこから、太秦の漢字に朝廷から与えられた姓の読みを当てた。太秦地域は渡来系秦氏の拠点であったことから、その拠点一帯をうずまさと呼ぶようになった。他方、古代ヘブライ語で「ウズ」(光)、「マサ」(賜物)が語源という説もある。
由来を証明するように、太秦には秦氏が支援した広隆寺が建立された。秦氏は聖徳太子との関係も強く、参謀として活躍したことも知られるが、この関係が起因してか、広隆寺には聖徳太子ゆかりの遺品が多く奉納されるようになった。
現在では京福電鉄が嵐山駅から北区の北野白梅町駅(西大路今出川)、下京区の四条大宮駅(阪急京都線大宮駅と連絡)までを結ぶ。京都にあって公共交通に乏しい地域であるが、右京区でも屈指の住宅地である。