大隈講堂
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大隈講堂(おおくまこうどう)とは、早稲田大学西早稲田キャンパスにある講堂で、大隈重信像と並び早稲田大学を象徴する建造物である。正式名称は「早稲田大学大隈記念講堂」。学内では「早稲田大学21号館」とも表記される。現在、大学の創立125周年(2007年10月21日)記念事業に向けて、歴史ある外観はほぼ変えずに内部を改装して多機能型文化ホール化する工事が行われており、立ち入ることはできない。この工事は、2007年の9月末には終わる予定である。
[編集] 建設の経緯
1922年、早稲田大学の創立者である大隈重信が逝去し、記念講堂の建設が行われることになった(それまで各種の式典は中庭にテントを張って行っていた)。1923年4月に寄付金200万円を集めることや設計案を公募することなどが決まった。設計コンペにより当選案が選ばれたが、折から関東大震災(1923年)が起こり、また先行して図書館の建設も行われていたことなどで資金も思うように集まらず、計画はしばらく中断した。1925年になって寄付金も集まり、再び計画が動き出した。改めて建築学科中心に設計を行うことになり、高田早苗総長からゴシック様式で演劇にも使える講堂を、という要望を受け、建築学科の佐藤功一、内藤多仲(構造学)、佐藤武夫(音響工学の先駆者)らが設計に当たった。1926年2月に着工し、1927年(昭和2年)10月20日に落成した。
[編集] 概要
大講堂は3階建てで1435席。地下1階の小講堂は382席。 外壁のタイルは全部で約19万枚で、信楽風の全て手作りの焼き物である。 7階建の時計塔がシンボルとなっており、大隈重信が提唱した『人生125歳』説にちなみ、125尺(約37.8m)の高さになっている。外観にはラグナル・エストベリのストックホルム市庁舎(1909-1923年)の影響があるといわれる。
塔上の鐘は、米国ボルチモアのマクレエン社からパナマ運河を越えて運ばれてきたものである。大小4つの鐘でハーモニーさせる方法は日本では初めてのもので、現在でもウェストミンスター宮殿のそれと同じハーモニーを奏でている。 時計塔の鐘が鳴る時間は、8時・9時・12時・16時・20時と1日5回。
内部の天井には宇宙を表現した楕円形の採光窓がある。太陽と月と9つの星をあしらった太陽系を表し、講堂の内と外との「世界の融和」を象徴している、とされる。
1994年4月、東京都景観条例に基づき「東京都選定歴史的建造物」第一号に選定された。
[編集] 利用状況
早稲田大学が主催する重要な行事、講演会はここで行われることが多い。 また、大学が使用しない日は、サークル主催の劇、講演会、イベントが開催される。
- 1993年7月7日、アメリカ合衆国大統領 ビル・クリントン講演
- 1998年11月28日、中華人民共和国国家主席 江沢民講演
- 2002年4月15日、小泉純一郎首相講演
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