大川興業
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大川興業(おおかわこうぎょう)は日本の芸能事務所。
[編集] 概要
代表取締役の大川豊が、明治大学在学中に学ラン集団・大川興業を結成。在学中からセミプロの芸人集団としてテレビなど各方面で活動。角刈り頭に斜めのサングラスという出で立ちの大川を中心に、バンカラの応援団風パフォーマンスを展開し話題になる。
大川の就職活動失敗の後、1985年に大川興業株式会社を設立。当初の本店所在地は東京都板橋区常盤台、資本金は100万円であった(1989年に200万円に増資)。
その後、1990年の商法改正により株式会社の最低資本金が1000万円と定められたため会社解散の危機に陥ったが、1996年に構成員により800万円の増資が行われ、会社存続を果たした。1997年には、本店を実質的な本社所在地である港区三田に移転登記している。
1994年10月、埼玉県新座市のスーパーマーケットでの公演中、木登りのパフォーマンスを行っていたメンバーのピグモン勝田こと勝田啓司が転落死するという悲劇があった。その時、生死をさまよう勝田に、マスコミに対し、「皆さん、勝田の無事を祈ってください!」と涙ながらに土下座し訴えた。その直後、「・・・こんな(態度)のは、総裁ではない!」と、涙を拭った。その直後の舞台公演も中止になりかけたが、勝田の父親と高田文夫の「舞台が一番の供養になる」との希望により、舞台公演は行われることとなった。
2001年、小泉首相誕生のきっかけとなった、自民党総裁選をまねて、初の大川興業総裁選を実施したところ、江頭2:50が総裁に選ばれてしまうという珍事?がおこった。その後の話で、実は、江頭2:50は組織票を持っており、新人に指示してあちこちのネットカフェに行かせて投票させていたことが判明した(大川豊談)。以後、大川豊が代表取締役であることと区別するため、社名を「大川豊興業株式会社」に変更(ただし、登記上の商号は「大川興業株式会社」のままであり、「大川豊興業株式会社」に変更された形跡はない)。5年後の2006年9月、自民党総裁選より一足早く、第2回大川興業総裁選が実施され、大川豊前総裁が返り咲いた。
大川本人は板橋区に軽自動車税金を支払うことができず、差し押さえされた。大川や大川興業にはこういった金欠エピソードが多数あるが、実はイメージ作りのための一種のパフォーマンスではないかという見方が根強く存在する。
2003年より下北沢スズナリにて、90分の間ほぼ暗闇の中で繰り広げられる大川作・演出の芝居「Show The Black」「Show The Black II」を上演し話題を呼ぶ。
構成員としては、江頭2:50が最も有名。ナンセンスな笑いを提供する一方、大川は一種の文化人として政治的な発言をすることも多い。特に泡沫候補への造詣が深く、彼らを「インディーズ候補」と呼び敬意を表している。
デーモン小暮閣下とは、大学時代の「世を忍ぶ仮の姿」からの友人。大学は違っていたが、毎日のように会っていたという。
[編集] 在籍者
- 構成員
- 準構成員
- 元構成員