大岩堅一
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大岩 堅一(おおいわ けんいち、1958年1月28日 - )は長野県で活動するフリーアナウンサー。長野県松本市在住。
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[編集] 来歴・人物
千葉県木更津市出身で、1981年朝日放送(ABC)入社。アナウンサーとして活躍し、特にABCラジオの深夜放送では、同じABCアナウンサー楠淳生との「ケンクス」コンビで人気を博した。
朝日放送を退社後はFM長野開局に伴い、1988年7月FM長野に入社。それと同時に長野県にIターンする。同局ではアナウンサー業と共に、ディレクターなども務めていた。
そして平日朝のワイド番組「タブロイドラヂオ Let's午前中!」では、県内各地で番組リスナー仲間の集いが出来るなど、主婦層を中心に一大ムーブメントを巻き起こした。番組独自の“長野県の三大方言”の制定を始めとして、長野県在住の放送作家加瀬清志との共著『スタヂオの窓から信州が見える』の執筆(加瀬とは後に喧嘩別れし、それ以降加瀬はFM長野への出演をしていない)など、局アナウンサーを超えた、パーソナリティとしての活動にも注目された。
また在長他局であるSBCラジオの特別番組「ラジオなんかいらない」では、放送局の垣根を越えパネリストとして出演。当時ライブドアによるニッポン放送の買収騒動などで、にわかにラジオ業界が注目された中で、大岩はラジオ放送の将来性について本質に迫る議論を展開した。
2005年10月の大規模な番組改編で、平日の生ワイド番組からは完全に離れ、担当番組も週末の生放送番組「SATURDAY D」(現在は降板)のみとなったが、2006年3月31日で同局を退社し、フリーアナウンサーとして活動することとなる。
そして同年4月6日より、フリーアナウンサーとしては初のレギュラー番組となる「わくわくわいど! アッパレ大通り」(SBCラジオ)木・金曜パーソナリティを務める。30歳でFMに転身して以来、久しぶりになるAMでのレギュラー番組になる。
[編集] 現在の担当番組
[編集] SBCラジオ
[編集] 過去の担当番組
[編集] FM長野
- マイ・ハーティ・タイム(1988年10月~1994年3月)
- 中部電力 信州Seven Days(1988年10月~1992年3月)
- 薔薇色 金曜カタルシス(1994年4月~1996年3月)
- タブロイドラヂオ Let's午前中!(1996年5月~2003年3月)
- Start Your Engine あ・さ・い・ち!(2003年4月~2005年9月- 水・木曜担当)
- SATURDAY D Timeslip Touring~土曜の昼は僕の生きがい~(2005年10月~2006年3月)
[編集] 朝日放送
- ABCラジオジラ(1986年10月~1987年9月- 金曜担当)
- ABCラジオファンキーズ(1987年10月~1988年3月- 月曜担当)
- ABCラジオファンキーズ(1988年4月~1988年6月- 金曜担当)
[編集] 出版物
[編集] 備考
長野県に移住後、FM長野で長年数多くの番組を担当してきたこともあって、県内リスナーのファンも多く、比較的知名度も高いラジオパーソナリティで有る。しかし一方で、ラジオ番組での大岩の主張が時としてリスナーに誤解や疑問を持たれることがあり、そのことにより大岩に対して嫌悪感や番組の私物化と捉えられアンチが多い。
物議を醸した発言として2005年6月頃に、大岩の番組宛に誕生日の祝福をパーソナリティからしてもらいたいことを求めるメッセージがリスナー本人から届いた際に、通常のパーソナリティならばいつも番組をご愛聴して下さるリスナーに「おめでとう」の一言を番組で伝えるような場面で、このリスナーが他の番組でも同様のメッセージを送っていたことを快く思っていなかったようで、大岩の口から「あなたは今日、他のいくつかの番組でもお祝いしてもらってましたね。そういったことはよくないと思います。」 とコメントした為に、番組内でこのメッセージを扱わなければ済むはずのところを、わざわざメッセージを採用しておきながらリスナーの誕生日に吊し上げるようなコメントをしたことに対しては不快感を持つリスナーもいた。
そしてインターネット掲示板「2ちゃんねる」のラジオ番組板では、FM長野に関するスレッドが「+ FM長野の『天皇』 大岩堅一アナ+」と名付けられており、これまで「FM長野の顔」であった大岩を象徴している。
[編集] 外部リンク
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