多神教
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多神教(たしんきょう;polytheism)は、神や超越者(信仰/儀礼/畏怖等の対象)が多数存在する宗教で、一柱の神のみを信仰する一神教との対比のために用いられる語。
一神教と比べると他の信仰に対して寛容であることが多い。また、特定の一神(主神)が最も高位にあると考え、主神を崇拝の中心とするものを、多神教的一神教と呼ぶことがある。
かつて初期の文化人類学などでは、原始宗教やシャーマニズムなどの多神教が発展した頂点に一神教が存在するという進化論的な考えが存在したが、現在では否定されており、宗教の形態に序列はない。多神教は具体的に言うと、日本の神道、中国の道教、インドのヒンドゥー教などが現存する代表例である。仏教も多神教だという説もあるが議論が分かれているところである。
[編集] 現代思想との関連性
環境をecologyと認識するのは、19世紀半ばのドイツのヘッケルの主張にさかのぼる。アンナ・ブラムウエルが「エコロジー 起源とその展開」(河出書房出版1992)でヘッケル以来のエコロジーの歴史を詳述している。この書物はエコロジーに多神教の一翼をなすアニミズム的要素を認めている。エコロジーはドイツで生まれた一つの考え方である。ゲルマン民族がキリスト教化される前の自然との付き合い方への郷愁と言った側面もある。ドイツでは、18世紀になって英国の影響を受けた啓蒙主義からカント、ヘーゲルのドイツ観念論が展開して、ドイツの近代化の思想的根拠となった。しかし、近代化は現在で言うとグローバル化のようなもので、民族的深層意識を満足させないので、ヘーゲル以降ゲルマン的回帰と結びつくような思想運動が生じた。自然と親しむワンダーフォーゲル運動とも精神的な親近性がある。このようなことは、実は世界各地で見られることである。つまり、一神教が多神教の進化形態で優れているといった主張よりも、現代思想にも一神教的な考え方と多神教的な考え方のそれぞれが適合する面が生きており、聖書が喝破したように「ひとはパンのみで生きることは出来ない」という人類のもつ一見合理性がないと思われるかもしれないが実は必要な活動にも支持をあたえつづけている。