ノート:場の空気
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[編集] アクセス禁止関連について
ロックアウトは、労働に関連した用語なので、削除しました。--神楽 2006年9月25日 (月) 19:23 (UTC)
[編集] 場の空気と「参考書籍」
203.138.28.148さんが部分コメントアウトを行う上で「 参考文献を明示して下さい。何か学術的論拠があるのか/ないのか、これでは分かりません。 」と述べられていますが…小生としては、ただただ斯様なコメントが出たことに驚くばかりです。というのも、本稿を記述するにあたり「一般常識」の範疇で記述したためです。
- おせっかいとは知りつつも口出しいたします。Wikipedia:ウィキペディアは何でないか 1-3-5項によれば、ここは個人の研究成果を発表する場所ではありません。極端な話、あなたが「一般常識」と思っていても、それが本あるいは Web に書かれていなければ Wikipedia には書いてはいけないのです。このような曖昧な概念について説明するときは混乱する可能性があるので、なおさら慎重になる必要があるでしょう。「国語辞典を読めばわかる」とおっしゃるのでしたら、国語辞典をあなたなりに要約した文章ではなく、国語辞典の該当部分を直接引用してください。あるいは小説家などが「場の空気」という表現を使っている箇所を引用してもいいでしょう。そうすることにより「場の空気」という語法の実際の用例に対して分析的な文章を書くことができます。つまらないと思われるかもしれませんが、Wikipedia はいろいろな所に書かれている知識を集積するための場所であって、まだ知られていない知識・理論を新しく構築する場所ではないのです。失礼しました。euske 2006年11月10日 (金) 04:36 (UTC)
コメントアウトを被った部分の論拠は、ほぼ全て各々の項目中に設けたリンク先を読んで頂くことでご理解頂けるものと考えておりました。しかし203.138.28.148さんは「分かりません」とおっしゃいます、参考書籍を明示して欲しいとまでおっしゃられています。逆に小生としては、コメントアウトされた部分の記述内容は、全て一般常識や、その周辺概念を収拾して列記してあるに過ぎず、特定の書籍を論拠として記述した訳ではありません。しいていえば国語辞典や現代用語の基礎知識のような辞典において、ソーシャルスキル(→社会技能)の説明中や、あるいはアスペルガー症候群の説明中などから導き出される概念を、場の空気という記事の中で「どう絡むのか」を含めて軽く触れているに過ぎません。知の過程からすれば「(辞書の)逆引き」のようなやり方ですが、Wikipediaを含むWikiスタイルでは項目へのリンクを設けることで、更に詳しい専門的な記事が簡単に読めるため、斯様な記述をした次第です。
もし、コメントアウトされた部分に関して学術的見地から妥当性があるかどうかを判断したいのであれば、各々の専門書籍を紐解くことを奨めます。例えば「ソーシャルスキル」と「場の空気」の関連性が知りたければ「ソーシャルスキル」に関して記述された書籍を、「アスペルガー症候群」と「場の空気」の関係性を理解したいのであれば「アスペルガー症候群」に関して記述された書籍を読んで欲しいと思います。そこまでいかないまでも、せめて文中リンクを開いて頂きたく思います。
このため203.138.28.148さんのコメントアウトは、妥当性の無い行為であると思います。もし暫くして203.138.28.148さんから明確なお返事、または第三者からの妥当なご意見が無い場合は、コメントアウト解除も考えております。悪しからずご了承下さい。--夜飛 2006年10月10日 (火) 08:30 (UTC)
- コメントアウトを解除しましたが、全体的にエッセイ、個人的な感慨に近く、文章の推敲が望まれると思われます。Mishika 2006年10月10日 (火) 08:37 (UTC)
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- 了解です。小生としても「場の空気」という概念に絡んで小生自身が関連すると認識している事象に関して記述しているに過ぎません。他にも関連する事象があるかも知れませんし、あるいは関連のさせ方に難のある記述があるかもしれませんし。また小生自身が「端的過ぎて説明が等閑になるよりも、冗長となるを厭わない」という凶状持ち(ヲイ)でもあるため、推敲や、さらにはより適切にまとめられる事は多いに歓迎するところであります。--夜飛 2006年10月10日 (火) 10:06 (UTC)
[編集] そもそもこのエントリは必要なのか
「場の空気」が百科事典で説明すべき項目として適切なのかどうか疑問です。「場の空気」という表現が実際に精神医学などで確立された用語として使われているならともかく、ウィキペディアは一般的な語法を説明するところではないはずです (Wikipedia:ウィキペディアは何でないか)。個人的には、ぼくは「場の空気」という表現がなにを指しているのかよくわかりません。euske 2006年10月11日 (水) 22:45 (UTC)
- 要らないと思います。--PeachLoverももがすき。 2006年10月12日 (木) 00:32 (UTC)
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- (コメント)小生自身がだいぶ増量したから…という訳でもない(いや、実際はどうなんだろ)のですが、如何な俗語というか一般語の範疇にあるとはいえ、兎角「和」をもって尊ぶという日本人論にもからみ、日本語Wikipediaならでこそ…の記事かと思われ、また在って困る項目ではないと考えています。「解らないことだからこそ、辞書でひいてでも知りたい」という欲求=需要があると考えています。
- ぶっちゃけ小生も、興に乗ったら大概「和」を乱しかねない性分であり、また「場の空気」というのを概念としてではなく感覚としては理解しかねる所もあるだけに、「実は良く判らない」のかもしれません。それだけに感覚ではなく理知的にこれを突き詰めたいと常々思う所があって斯様な増量と、他の項へのリンクという形に走りました。小生としては存続させ、ソーシャルスキル(=社会技能)という観点に絡み、社会学や社会心理学の分野から、より広義には社会的動物である人間という存在の哲学的解析の方面から、詳しい記述をする余地はあると思いますし、またそのような発展を期待しています。--夜飛 2006年10月12日 (木) 08:32 (UTC)
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- 無理に削除依頼を出すほどのことではないとも思っています。ですから現状でよいのではないかと。--PeachLoverももがすき。 2006年10月12日 (木) 09:20 (UTC)
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- 失礼を承知で申します。あらためて「場の空気」と姉妹ページ(?)のような「暗黙のルール」を見直してみましたが、個人的な感覚に立脚した学説を展開しているだけのように見えます。多くの言明には具体性を欠く曖昧な用語 (「動向」、「傾向」、「大きな問題」など) が使われており、第三者が客観的に批評したり改良したりすることが難しくなっています。また、Wikipediaには文献の出典を示すべし、という規則がありますが、これらの文章のどこまでが文献によって検証可能でしょうか? 日本独特の文化を記述しようという試みは素晴しいと思いますが、たとえば「場の空気」を "atomosphere of the field" などと英訳してみても意味が通りません。新しい項目をつくる場合、その名前のひとつの目安として「他言語に翻訳できるかどうか」があると思います。「日本人の集団行動における特徴」などのような、より曖昧さの少ないタイトルにするほうが有意義な内容になるのではないでしょうか。euske 2006年11月10日 (金) 04:14 (UTC)
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- 学説というよりも、小生としては「場の空気」に絡めて複数の概念を逆引きしたに過ぎません。故に学術的検証はリンク先の記事をもって行って頂くという形になると思います。ご指摘の曖昧性を含む語は、「それらが一般社会でどう作用するか」を概略的に説明してるだけに過ぎませんので、より詳しい情報は各々の章に設けられたリンクを辿っていただければと考えております。
- なお翻訳性の維持という面は非常に興味深い事だと思います。ただ「場の空気」となると、言葉としてはひとまとまりの慣用句や形容詞・比喩の一種であり、単語に分解して直訳ないし単純な意訳しても意味が通らない事甚だしい種類の概念かと思います。小生は英語にはとんと疎いのですが、暗黙知を良しとしない米社会ないし米語の範疇(もちろん、英語にも)に該当する概念がないのかもしれません。
- なお日本語版Wikipediaは「日本のWikipedia」ではなく「日本語のWikipedia(日本語で記述されたWikipedia)」であるため、Wikipedia:記事名の付け方と言うガイドライン草案にて、日本語でそれ一意の表現にて記事名を表す必要があるため、大概の人に言ってもぽかんとされてしまうような記事名称というのも賛同いたしかねます。英語版Wikipediaであれば「日本人の集団における暗黙知的決め事(ルールないしマナー)」のような言葉の直訳を記事名とする事に何ら支障は無い(日本人論の一種)のかもしれませんが。
- ただ、日本人集団に限らず、ルールやマナーといった明文化された書籍などの情報があるものにおいても、それらの情報を知らない者から見たら、それはやはり「場の空気」同様の曖昧模糊とした「その場を支配する何か」と見えると思います。また古い社会では日本だけに限らず、類似する概念が存在している可能性も考えられ、単に日本人論に収斂させてしまうべき事柄では無いかもしれません(→島国#島国根性)。
- いずれにしても本項は小生の実験的試みの延長で増量されたとは言え、その各々で逆引きされた事象は、理知的な研究がなされている分野であり、またそれらが関連してくる事は明らかであると考えています。ただ…小生が過去に読んだ書籍のどれに本項が立脚しているかと問われると、『スポック博士の育児書』や『家庭の医学(正式名失念の複数書籍)』から『マズローの心理学』・『(中公新書辺りの)犯罪心理学』や『(同)児童心理』辺りがボロボロ出てくるばっかりで、具体的にどの本に基くかに関しては答えに窮する部分ではあるんですけどね…そのいずれにも確かそれらを肯定する材料が見出せるはずなだけに(爆言)。--夜飛 2006年11月10日 (金) 09:22 (UTC)
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- 「小生としては…思います」「…かもしれません」という思考の羅列がそのまま記事になっている気がいたします。まがりなりにも百科事典のようなものを作ろうとしている際に、誰もが自分の思考を証拠の引用なしにそのまま記事にしてしまっては、収拾がつかなくなるのではないかと危惧する次第です。しかし、これ以上議論してもあまり進展しそうにないので、深入りしません。どうも失礼しました。euske 2006年11月25日 (土) 02:10 (UTC)
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精神医学では知りませんが、一方、日本人を語る上で重要な概念であり、山本七平の『「空気」の研究』という本もあるし、それなりに学術的にも意味の確立している語ではないでしょうか。(夜飛さんには、和の文化もかいて欲しいなあ)--壽日 2006年10月25日 (水) 13:09 (UTC)