堀口大學
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堀口 大學(ほりぐち だいがく、1892年(明治25年)1月8日 - 1981年(昭和56年)3月15日)は、日本の詩人、フランス文学者。
[編集] 略歴
1892年、東大生堀口九萬一(のち外交官となる)の長男として、東京・本郷に生まれる。大學という名前は、出生当時に父が大学生だったことと、出生地が東大の近所であることに由来する。幼児期から少年期にかけては、新潟県長岡で過ごす。旧制長岡中学校を卒業し、上京。
17歳のとき、吉井勇の短歌「夏のおもひで」に感動して新詩社に入門。歌人として出発する。
1910年、慶應義塾大学文学部予科に入学。この頃から、「スバル」「三田文学」などに詩歌の発表を始める。
19歳の夏に、父の任地メキシコに赴くため、慶大を中退。メキシコでフランス語を学んでいた時、メキシコ革命に遭遇。メキシコ大統領フランシスコ・マデロの姪と恋愛を経験。
この頃、肺結核を患う。以後も父の任地に従い、ベルギー、スペイン、スイス、ブラジル、ルーマニアと、青春期を日本と海外の間を往復して過ごす。
1919年、処女詩集「月光とピエロ」、処女歌集「パンの笛」を刊行。以後も多数の出版を手がける。その仕事は作詩、作歌にとどまらず、評論、エッセイ、随筆、研究、翻訳と多方面に及び、生涯に刊行された著訳書は、300点を超える。彼の斬新な訳文は当時の文学青年に多大な影響を与えた。三島由紀夫もまた、堀口の訳文から大きな影響を受けた一人である。
1957年に芸術院会員となり、1979年に文化勲章を受章。1981年、歿。
娘の堀口すみれ子も詩人でエッセイスト。
1967年、歌会始で(お題は「魚」)、「深海魚光に遠く住むものはつひにまなこも失ふとあり」と詠んだ。生物学者である昭和天皇はたいそう喜んだというが、一部には天皇に対する、本人を目の前にしての批判であると解する向きもまたある。
[編集] 著訳書
- 月光とピエロ(1919年)
- パンの笛(1919年)
- 訳書・夜ひらく(1924年)
- 訳詩集・月下の一群(1925年)
- 砂の枕(1926年)
- 人間の歌(1947年)
- 夕の虹(1957年)
- 月かげの虹(1971年)
- 沖に立つ虹(1974年)
- ルパン傑作集(翻訳年はかなり以前で近年再版されている。)
[編集] 外部リンク
- 長岡市立中央図書館-堀口大學コレクションを所蔵