国際チェス連盟
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国際チェス連盟(こくさいチェスれんめい、Fédération Internationale des Échecs)は1924年7月24日にパリに設立されたチェスの国際組織。略称は FIDE 。加盟国は2006年5月現在、158ヶ国。会長はキルサン・イリュムジーノフ。(2006年現在)
世界チェス選手権およびチェスオリンピアードの組織、選手のイロ・レイティングの計算、チェスの規則の制定、チェス・プロブレムのアルバム (FIDE Album) の定期的刊行、FIDE マスター (FM) ・インターナショナルマスター (IM) ・グランドマスター (GM) の称号、女性版のFIDE マスター (WFM) ・インターナショナルマスター (WIM) ・グランドマスター (WGM) の称号、プロブレムやエチュード(スタディ)の創作や解答の分野でのInternational Arbiterやマスター・グランドマスターの称号を含む多数の称号の授与を行っている。
FIDEは全世界の世界チャンピオンだけでなく、女性チャンピオンおよびジュニアチャンピオン、地域チャンピオン、チェスオリンピアード向けのチャンピオンを組織する。FIDE自らは他の大会を監督することは少ないが、他のトップレベルの行事では、ほぼ例外なく、FIDE の規則および細則を尊重している。
上述のように、現在の加盟国は158ヶ国であるが、財政上の債務不履行により、ブルンジ、ガーナ、コートジボワールの3ヶ国の参加資格は一時的に停止されている。
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[編集] 沿革
設立当初、FIDEの力は弱かった。チェスと政治が密接に結びついていると見ていたため、ソビエト連邦が参加を拒否したことが大きかった。そのため、FIDEは非政府組織であった。しかし、当時の世界チャンピオン、アレクサンドル・アレヒンが1946年に死去したことにより変わる。FIDEは後継者を見つけるための大会を組織した。このことが関わるべき事項であることに気づいたソビエト連邦はFIDEに加盟した。
その最初の1948年の大会(勝者ミハイル・ボトビニク)から1993年まで、FIDEはチェスの世界チャンピオンを決定する唯一の組織体であった。しかし、論争に巻き込まれることもあった。1975年に、FIDEはアナトリー・カルポフとのマッチに対するロバート・ジェームス・フィッシャーのすべての要求を叶えることを拒否し、彼の持つタイトルを剥奪した。また、1984年、FIDE会長、フロレンシオ・カンポマネスはカルポフとガルリ・カスパロフのマッチを決着をつけずに中止した。さらに、1993年には、チャンピオン・カスパロフと(FIDEの挑戦者選出制度を通して資格を与えられた)挑戦者ナイジェル・ショートは新しく設立されたプロチェス協会の後援の下でタイトルマッチを行うためにFIDEを脱退した。その時以来、二人の世界チャンピオンが並立している。一人はFIDEの庇護の下にいる者、もう一人は様々な組織の庇護の下にいる者である。1998年、FIDEの世界チャンピオンは、それ以前のタイトルマッチの時よりも短い制限時間で指す試合による単一のトーナメント大会の優勝者に改められた。しかし、この変更は議論を呼んだ。
1999年、FIDEは国際オリンピック委員会(IOC)に国際競技連盟として承認された。その2年後、チェスにIOCの反薬物規則を導入した。FIDEはチェスをオリンピックの開催競技にしたいことを表明している。2006年現在これは実現していない。
いわゆるプラハ合意(ヤッサー・セイラワンの主導による2つの世界チャンピオンの地位を統一する計画)のFIDEの扱いと同様、2004年にリビアで世界チェス選手権を開催する決定も議論を呼んだ。FIDEはこの点でプロチェス協会だけでなく個々の選手からも批判されている。
[編集] 歴代会長
- 1924年 - 1949年 Alexander Rueb
- 1949年 - 1970年 Folke Rogard
- 1970年 - 1978年 マックス・エーワ
- 1978年 - 1982年 Fridrik Olafsson
- 1982年 - 1995年 フロレンシオ・カンポマネス
- 1995年 - 現在(2006年) キルサン・イリュムジーノフ
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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