員林鎮
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台湾省彰化県員林鎮 | |
地理 | |
位置 | 東経120°32"52' 北緯23°57"43' |
面積 | 40.038km² |
人口 | |
戸口(2006年7月) | 34,513戸 |
人口(2006年7月) | 126,271人 |
政治 | |
行政区分 | 鎮 |
鎮長 | 呉宗憲 |
地方自治機関 | 員林鎮民代表会 |
下部行政区画 | 41里806鄰 |
その他 | |
郵便番号 | 510 |
市外局番 | 04 |
鎮花 | - |
鎮鳥 | - |
鎮木 | - |
別称 | 林仔 |
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員林鎮(いんりんちん、Yuánlín、ユェンリン)は、台湾彰化県に位置する鎮である。
目次 |
[編集] 地理
員林鎮は彰化平原の東部に位置し、南投県との県境にある八卦台地を除き平原により構成されている。平均海抜は25mである。機構は亜熱帯気候区に属し、年間平均気温は23℃である。
[編集] 歴史
員林地区の開発は清代の康熙中期に遡ることができる。康熙22年、水師提督施琅,陸軍提督万正が台湾を攻撃、鄭氏政権を降伏させると、員林は福建省分巡台廈道臺湾府諸羅県に帰属した。康熙年間、、施世榜により厝圳が、黄仕郷で十五庄圳が整備されると、福建省漳州府平和県の曹阿慈、広東嘉應州鎮平県の詹志道、劉延魁、呉三霖、広東潮州府饒平県の黄可九、黄実賢、盧剛直、張應和、張文敞、張剛直、広東恵州府陸豊県の梁文開、梁文挙兄弟などがこの地の開拓に携わった。
乾隆5年、燕霧保が設けられ垓台、秀水、佳錫、員林仔、鎮平、内湾、白沙坑の7庄を管轄するようになる。燕霧保の街区が員林仔街である。
下関条約により日本による統治が開始された台湾では行政区の改編が続き、1920年には台中州員林郡員林街と改編された。光復後は台中県員林区員林鎮となり、1950年に彰化縣員林鎮と改称され現在に至っている。
[編集] 経済
[編集] 行政区
[編集] 歴代鎮長
代 | 氏名 | 任期 |
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[編集] 教育
区分 | 数 | 名称 |
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大学 | 0 | - |
技学 | 1 | 中洲技術学院 |
高中 | 1 | 国立員林高級中学 |
高職 | 1 | 国立北斗高級家商職業学校 |
国中 | 4 | 国立員林高級農工職業学校 国立崇実高級工業職業学校 国立員林高級家商職業学校 私立大慶高級商工職業学校 |
国小 | 9 | 彰化県立員林国民小学 彰化県立育英国民小学 彰化県立静修国民小学 彰化県立僑信国民小学 彰化県立員東国民小学 彰化県立饒明国民小学 彰化県立東山国民小学 彰化県立青山国民小学 彰化県立明湖国民小学 |
[編集] 交通
種別 | 路線名称 | その他 |
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鉄道 | 縦貫線 | 員林駅 |
高速道路 | 中山高速道路 | 員林IC |
省道 | 台1線 | |
省道 | 台76線 | 東西向快速公路 漢宝草屯線 |